古い時代を葬る葬式でした

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町内の葬式を、お手伝いしてきました。
斜め向かいの家で、今年96歳になる吉岡きみ子さんが、
日曜日の早朝に、息を引き取られたと言うことです。
井波下新町三区三班には、現在10軒の家族が暮らしており、
その中で最高齢のお婆ちゃんが、亡くなられたのです。

僕がまだ小学生だった頃に、吉岡家の前に庭があって、
その庭に入り込んで、ビー玉などをして遊んでいました。
今思えば、庭を無茶苦茶にして遊んでいたのに、
ほとんど怒られた記憶も無く、そこはまさに遊び場で、
僕らは当たり前のように、出入りして遊んでいた。

その当時吉岡家は、母一人娘一人の母子家庭で、
お父さんは戦時中に、シベリアで亡くなっておられた。
終戦を迎えて、母一人で娘を育てるのは楽なはずがない。
だけど僕が知る限りでは、特別苦労した様子も見せないで、
和服を仕立てながら、明るい毎日を暮らしていたのです。

そんな一人娘も、成人して結婚して二人の子をもうけ、
長男は結婚して、また二人の子を育てています。
これで僕らの町内には、また戦争の名残は消えてしまい、
昭和と平成が終わって、まもなく新しい時代になりますが、
それはただ年号が変るのではなく、明らかに時代が変る。

10軒の家の内、5軒が高齢者だけになるのですが、
3軒の家には小学生が居て、未就学児も2人居るし、
高校生が一人と、今年成人した人もいるのです。
10軒の班で、これだけバランスの良いところは少ない、
と言って良いと思いますが、いかがでしょうか?

お婆ちゃんの葬式を終えて、私の母の時代も遠くなり、
新しい時代が始まっていることを、思わずには居られない。
世の中的には、イチローの引退などが大きなニュースですが、
もっと身近な町内を見ても、時代は明らかに変って、
何かが始まる準備が、進んでいるように思われるのです。

新しい時代は、どんな時代になっていくのか?
地球の自然環境を見ても、生き物の現状を見回しても、
あまり嬉しいニュースは少ないし、経済社会も混乱している。
とは言っても、どんな時代になっても人は生き続けるので、
今生きている者としては、少しでも良い時代を作りたい。

贈与の経済とか、お金に頼りすぎない社会とか、
新しい時代に向けた、新しい考えは生まれているけど、
今はまだお金が社会を牛耳って、環境破壊が進んでいます
これをどうやって、方向転換を進めていくのかは、
今ようやく道筋が見えてきている、だけなのですが・・・

「発酵文化人類学」

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木楽舎から出ている、ちょっとニッチで面白そうな本、
小倉ヒラクさんの、「発酵文化人類学」を読んでみました。
何が面白そうかと言って、僕らは毎年毎日日常的に、
味噌やら漬物やらお酒やら、発酵食品を食べて暮らしている。
それぞれの作り方は、ワークショップまでやっているのに、
全体としての発酵に対して、あまり知識が無いのです。
そうして片手落ちの部分が、この本を読めば全容が分かる?
のではないか、と大きな期待をしながら読み始めたのです。

本の内容を見ると、7つの章に別れておりまして、
それぞれ内容が興味深く、キャッチされていました。
1:ホモ・ファーメンタム
   ~発酵する、ゆえに我あり~
2:風土と菌のブリコラージュ
   ~手前みそとDIYムーブメント~
3:制限から生まれる多様性
   ~マイナスをプラスに醸すデザイン術~
4:ヒトと菌の贈与経済
   ~巡り続けるコミュニケーションの輪~
5:醸造芸術論
   ~美と感性のコスモロジー
6:発酵的ワークスタイル
   ~醸造家たちの喜怒哀楽~
7:よみがえるヤマタノオロチ
   ~発酵の未来は、ヒトの未来~

各章が個性的な内容で、読んでいて飽きないし、
読み進む内に気がつくと、発酵文化の全体が分かってしまう。
そもそも「発酵」とは何か?、って好奇心も満たされるし、
僕自身曖昧にしか知らなかった、「麹」と「糀」の違いなんか、
面白いようにずばずば解説されて、不明瞭なことがなくなる。
それどころか、著者の小倉さんの独特な感性によって、
発酵のことを知るだけで、世界の文化人類学までわかる。
とまあ、これには異論があるかも知れませんが・・・

僕が個人的に一番面白かったのは、「ヒトと菌の贈与経済」で、
トロブリアンド諸島にあった、交換文化との比較による一節です。
現代文明の行き詰まりとも見える、貨幣経済から少し離れ、
いただいたもの以上のものを差し出す、贈与の交換において、
単なる交換価値以上の、コミュニケーションが生まれたと言います、
こうしたコミュニケーションには、思い掛けない価値が含まれ、
受け取った側には、時として望外の価値があったりする。
そこに発酵文化の価値を見いだし、文化人類学まで見てしまう、
著者の視点のユニークさも、この本の欠かせない魅力なのです。

等価交換に慣れてしまった僕らは、贈与の文化を忘れがちですが、
人類文化が今のように発展するには、等価交換ではない交換、
いわゆる贈与の経済価値観がないと、成り立たないのかも知れない。
そうしたことが、発酵文化を研究する内に分かってくると言う、
それだけでも面白いけど、何故か説得力があるから溜飲が下がる。
日本各地の、あるいは世界各地の気候風土が密接に関わって、
その土地にしかない醸し製品が生み出されるのも、興味深いのです。

木曽の無塩乳酸菌発酵として名高い、すんきの旨味から、
高知県嶺北地方にだけ残る、酸っぱ爽やかな碁石茶や、
新島の超有名な発酵食品、くさやに至るまで発酵が関わる。
これを単なる技術としてみても、気候風土に合って奥深いし、
人間が関わることによって生み出される、様々な要素も面白い。
人類の文化を、こんな発酵側面から見ればどんな風景が見えるのか、
もっとも基本中の基本である、お酒を例に取ってみても、

限りなく想像力が働くから、この本の内容は深くて味わい深い。

お酒や発酵食品に興味がある人なら、この本は絶妙の入門書で、
一通り読み終われば、いっぱしの通ぶった会話も出来るでしょう。
そしてたぶん、それから先は自分の舌と脳を駆使しながら、
それぞれ自分の世界を切り開いていくしかない、味わいの世界です。
「発酵文化人類学」となってはいますが、実のところこの本は、
人間のあらゆる知的好奇心を揺り動かし、深めてくれます。

そんな意味でこそ、優れた書物の一冊だとお勧めできるのです。


そして卒園

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怒濤のような2週間、と言うか、
実際には体調を崩し、何もしていない。
気持ちは焦るけど、インフルエンザでは、
うっかり外へ出るだけで、皆の迷惑になる。
と言うわけで、何も出来ない2週間でした。

それでも学校行事は、淡々と進むし、
寺子こども園も、卒園式が予定されている。
なるべく人に迷惑を掛けたくない、と思って、
卒園式まで、なんとか無事に過ごしました。
あとは4月5日の、入学式を待つばかりです。

卒園式のあとは、お別れ会もありましたが、
11人しか居ないこども園で、体調不良が相次ぎ、
3人が欠席して、ちょっと寂しい卒園式でした。
お別れ会は、応援団のメンバー交流会ですが、
今年は最後まで、あまり活動出来ませんでした。

先日から、ジオシティーズの日記をセーブして、
もういつでも、終了してかまわない状態です。
今年中には、このYahoo!ブログもセーブするので、
それで僕のブログ活動は、終わりにするつもり。
その後はしばらく、振り返りに充てます。

自然農は、当分は続けるつもりなので、
ブログをやめても、すぐに暇にはなりません。
それでも時間に余裕が出来て、書く意欲があれば、
もう一度、最後の小説を書いてみようと思う。
年齢的にも、今書いておいた方がいいでしょう。

小学校の仕事は、今のペースなら続けられるし、
姫と妻のためには、続けた方がいいはずです。
あとはもう一度、ゆっくり原稿を書きながらでも、
できる事を選んで、生きていくのが仕事です。
それでゆっくり、ソフトランディングでしょうか。

卒業生見送り!

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小学校で卒業式があり、子どもたちが見送られて、
6年間の学び舎を、これを最後に出ていきました。
子どもの時期の6年間は、相当に長いはずで、
1年生と6年生では、まったく違う感じがします。
学校では学年を超えて、掃除の班が組まれていますが、
6年生が居ない日は、えらくいい加減な掃除になる。

その6年生だって、入学したときは1年生なので、
それが6年の歳月を掛けて、変ったと言うことです。
遊ぶだけだった子が、少しずつ時間を掛けて成長して、
大人と同じ事が出来るようになることに、まず驚く。
僕は長い間田舎を離れていて、子どもは苦手だったのに、
最近では何かと、子どもを気にするようになりました。

子どもは実用の役には立たないけど、そこに居るだけで、
世界を豊かにしてくれ、多くの気づきを与えてくれる。
子どもが何を考えているのかと、考えてみることは、
人間とは何かと考えることに等しく、心を温かくします。
理性だけではつまらない世界も、子どもの心になって、
何かと想像するだけでも、生きることが楽しくなる。

50年前や、60年前の自分を思い出すことで、
そこに大きな環を感じながら、新たな生を生きてみる。
このところはまた、ジオシティーズの閉鎖に伴い、
自分のパソコンに落とした記録で、日々を辿っている。
すると思いがけずに、忘れていた日々が新鮮に蘇り、
自分の人生をもう一度、行き直す感じがしてくるのです。

忘れてしまうことで、また新たな人生を生きるなら、
どんな人生も限りなく深く、何処までも繋がっていく。
あとどれだけ生きるかは、分からないことだけど、
最後生きている間には、振り返りからの作品を書きたい。
もう一度生きるなら、どんな選択をして生きるのか?
結局同じ選択をして、同じ人生を生きるとしても・・・

家族そろってインフルエンザ?

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僕がインフルエンザと診断された日から、僕だけ別部屋で寝ましたが、
時既に遅かったようで、翌々日には全員インフルエンザと診断です。
もうどうせ全員インフルエンザってことで、3人で一日中うだうだと、
僕だけもうだいぶ体調も良いので、外の用事をして回っています。
一番心配な姫は、まだインフルエンザ菌が活躍しているようなので、
一緒に寝てお腹などを探り、熱い場所から熱を吸い取っています。

僕がやっている姫からの熱取りは、とてもシンプルで簡単ですが、
薬のようにやり過ぎることはないし、副作用もないのでお勧めします。
頭などの熱は氷枕や水枕、あるいは冷水で絞ったタオルに任せて、
子どもの熱はお腹から出てくるので、お腹に直接手を当ててみます。
自分が平熱の場合など、子どものお腹は驚くほどに熱くなるのですが、
そこに掌を当てているだけで、熱がグングンと引いていくのです。

最初は鼓動も早くて、心配なほど荒くなっていた呼吸ですが、
掌を充てて10分20分とする内に、少しずつ熱が引き始める。
熱が引くと呼吸が落ち着いてくるので、それを確認したところで、
掌の位置を動かして、熱のたまり場になっているところを探すのです。
するとお腹周り腰回りのどこかに、熱が溜って熱い場所があったり、
掌に違和感があったりするので、そこを丹念に熱取りしてやる。

このときはマッサージではないので、さする必要は無いので、
ひたすら自分の掌と子どものお腹の温度差で、熱を取るだけです。
静かに手を当てているだけで、熱は確実に掌に移っていきますから、
熱く感じなくなったら、別の熱い場所を探して同じようにします。
お腹周り全体から熱が引く頃には、子どもの呼吸も鼓動も落ち着いて、
確実な成果があったことは、身をもって実感できるでしょう。

場合によっては、手足まで熱取りしてやることもありますが、
その頃にはだいぶ良くなっているので、やりがいもあるでしょう。
気をつけなければならないのは、これは一回やれば終わりではなく、
発熱の原因がなくなるまで、熱が引いてしばらくしたらまた発熱。
それをまた熱取りしてやる、根気強さが必要ではあるので、
関係なくぐっすり寝ちゃう人は、意識して気をつけましょう。

僕らは3人とも、すでにインフルエンザ治療薬は飲んでいるので、
あとは3~4日症状の回復を待ちながら、体力を回復させるのです。
似たようなことは、どのお父さんお母さんもやっているとしても、
わざわざ書いてあるのは見たことないので、書いておきました。
僕のインフルエンザ診断は12日で、罹患したのが11日なら、
明日で一週間だから、そろそろ全快してくれるかな?

60年の想い・・・

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体調を崩して伏せっていると、様々なことを考えます。
そしてやっぱり行き着くのは、人間とは何なのか?
人生はどう生きれば良いか、って事でしかありません。
僕が初めて人生や死と向き合ったのは、小学生のときで、
同級生の子が、川で溺れ死んだときが最初でした。

大量の水に溺れて死ぬ、ってことをどう受け止めるか、
恐怖が先立つばかりで、水に近づくのが怖かった。
暗闇も怖くて臆病なくせに、自尊心だけは大きかったから、
屁理屈だけはうまく、まったく行動が伴わないのです。
家族からは、天邪鬼の内弁慶と言われていた記憶があるし、
外面(そとづら)は良いのに、家族には我が儘一杯。

小学校2年か3年までは、一人で夜のトイレへ行けず、
3つ違いの姉を起こして、付いていってもらっていたのです。
近所の銭湯へ行く途中にある、3メートルほどの路地の、
暗がりの前を通るのも怖くて、走り抜けてもいた。
それが突然怖くなくなったのは、異性への好奇心でした。

好きな女の子が出来て、その子のことを考えていると、
暗闇も怖くなくなるし、むしろ闇に紛れて近づきたくなる。
水の恐怖も何とか克服したくて、夏の間は毎日プールへ通い、
潜りや背浮きから、少しずつ泳げるようになっていった。
中学の頃には仲間より早く泳げたし、暗闇は恐れるどころか、
夜中に学校に忍び込んで、屋根に登ったりしたのです。

そしてまだ街路灯も少ない、田舎町の夜空を見上げて、
この世界の果てには何があるのか、どうなっているのかを、
自分の目で知りたい、と思うようになっていったのです。
学校には関係ないような、心理学や哲学の本を読んで、
自分だけの世界に没頭する事を覚えたのも、この頃からです。

ちょうど50年前に、地元の高校生となってから、
世界は具体的に広がり、人生を考えるような恋もしました。
その恋は実らずに、あれから何度の恋をしたのだろう。
幾度かの真剣な恋や、性を弄ぶような恋も経験して、
自分の生き方も、人に何と言われようと曲げなくなった。
やっぱり昔から、頑固な変わり者だったのかも知れません。

どう生きるのかを、いくら考えてみても正解はないし、
毎日会社通いをするような生活を、したいとは思えなかった。
原稿を書いてみたり、好きな旅をしてみたりしながらも、
なんとか生きていく術を身につけて、恋もしていた。
もしかすると恋は、孤独を恐れた隠れ場だったかも知れない。

過去を振り返らずに生きてきたつもりが、60年過ぎて、
姫の成長する姿を見る内に、ときどき時が戻っていく。
ふと懐かしい手紙を見つけたりすると、そのときの自分が、
どんな選択をしたのか、身の竦むような恥ずかしい思いがする。
もしもあのとき・・・と考えても、時はもう戻らないし、
すべてを超えて今、僕はここにこうしているんだってことだ。

僕と関わったすべての人は、幸せになっただろうか?
愚かな僕なんかと関わって、不幸になった人はいないか?
20年前、30年前の僕にアドバイスしたいことは多いけど、
20年前30年前の僕は、決してアドバイスを聞かないだろう。
関わってくれた人たちに、ただただ感謝するしかない。

インフルエンザ

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若い頃を含めて、風邪はしょっちゅう引きましたが、
インフルエンザの記憶は、ほとんどありません。
したがって今回も、花粉症がこじれたのかな?
くらいに思っていたのですが、そうはいきませんでした。
月曜日から体調は悪かったのですが、火曜日は仕事に行って、
帰宅してから医者へ行ったら、インフルエンザと診断です。

水曜日は何もしないで、ほとんど寝て過ごしました。
普段はこんなに眠れないけど、さすがによく眠れました。
そんなわけで、今週はほとんど家の用事も出来ないし、
家族には何かと迷惑を掛けて、妻も大変そうに見えますが。
何かやろうとしても、思うように身体が動かないし、
薬が効いているせいか、ボーっとしたりフラフラしたりする。

こんなこともあるのが、人生というものですから、
無理はせずに、ゆっくりしていたいと思っています。
症状としては、咳くしゃみ、鼻水鼻づまり、そして頭痛と、
更に困るのが、肩や腰のどうにもならないだるさです。
薬の所為もあるのか、口の中が乾きやすくて、
その延長として咽が痛く、頭まで痛くなってくる。

今は薬で症状を抑えてはいるものの、こんどは胃腸が、
いつもと違う感じで、ともかく何とも違和感があるのです。
自分は若くないのだから、と言い聞かせてみても、
妻は自分と同じように思うのか、不満そうにしています。
姫の方が、インフルエンザが怖いと思うようで、
心配してくれますが、またすぐに忘れてしまいます・・・

来週は学校で卒業式があるし、姫の卒園式もあるので、
それまでには、なんとしても元気を回復しておきたいのです。
と言うわけで、今日もまたおとなしく休んでいますが、
このところ慢性的に、無理が続いていましたから、
神様が休めと言っている、のかも知れませんね。
自分に出来ることは、もう少ないのだと実感します。