「文化が織りなす世界の装い」

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現代の僕らの暮らしは、寒かろうが暑かろうが、
何をしていても何処に居ても、何か着て過ごしています。
何も着ていないのは、風呂かシャワーのときくらいで、
寝ているときでさえ、パジャマか何かを着ているのです。
だけどこれは人類史で考えると、そう長いわけではありません。

そもそも最初に、衣服を身につけるようになったのは、
寒さを凌ぐためや、身を守るためだったと思われるのですが。
それがいつ頃からどうして、衣服を身につけるのが普通になったのか。
考えてみれば不思議なことですが、その不思議を考察した本が、
英明企画編集の、「文化を織りなす世界の装い」でした。

この本では欧米のみならず、世界の32カ所と日本の7カ所で、
衣類がどのように進化してきたかを、考察して書いてある。
例えばインドのサリーなど、宗教や階級による違いを示すために、
それぞれに決められた流儀があって、厳格に守られています。
あるいは太平洋諸国の異民族でも、それぞれの流儀があることで、
服装を見れば、どの島に所属しているかが分かるようになっている。

これは先進国の先住民族や、アジアの多民族国家などでも、
大きな共通項をもちながら、それぞれの違いを誇示しているのです。
そうした装いが持つ、他者との違いと同じ部族の共同体意識が、
装いを通して維持されているところに、この本は注目しています。
身体保護から、集団としての同化と差異化を示す道具となり、
やがて現代では、美と個性を追求する手段となった装いを検証する。

本の中では、民族衣装が成立する前の布や糸の生産から、
同化と差異化を生んだ歴史を、文化史として検証しているのです。
僕らはそれを読むことで、一つの教養を身につけると同時に、
人類はどうして、そうした同化と差異化を求めてきたのかを考えて、
そこに何か、人間に普遍の要素を見いだそうとするのかも知れません。

着ているものを見るだけで、どのような文化の人たちかが分かり、
どう接すれば良いか、何をしてはいけないかなどがわかると思われる。
この本は金沢星稜大学創設50周年の、記念事業として作られ、
加賀友禅のブランド検証なども、考察されては居ますが、
それを抜きにすれば、世界の装いを俯瞰する入門書となるでしょう。

内容的には、比較文化学的な議論が中心になっていますので、
民俗学などの学識検証としても、有効な本だと思いますが、
僕はそうした難しい議論とは別に、世界を旅するように読みました。
時空を超えて旅をしながら、豊富な写真を見てその暮らしを考え、
ビジュアル的に楽しんで見るにも、十分に興味深い本だったのです。

「種子」上映と意見交換会

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以前から案内してあったとおり、3月10日に、
八尾のコミュニティセンターで、映画「種子」上映と、
これにまつわる意見交換会を、行うことが出来ました。
前売り券を作らなかったので、何人集まるのか、
まったく予想できませんでしたが、60椅子は満席で、
立ち見の人もいましたから、70人は集まったでしょう。

映画の内容は、いわゆる種子問題を扱ったもので、
上映後の意見交換にも、50人近くが残って参加です。
映画の内容から、種子に関する意見も多かったのですが、
今回はそれに限らず、法律は何を守ろうとするのか?
僕らには何が出来るのか、と言った話題が広がりました。
参加者も多種多様で、広範な意見が出たのも良かったです。

僕が印象に残っている話しとしては、食品業者の人が、
富山県で遺伝子組み換えの植物がないか、調べたところ、
見つからなかったけど、他県では見つかっている話し。
また遺伝子組み換え飼料が増えてから、家畜の肉が変わって、
このまま食べ続けて大丈夫なのか、心配しているとのこと。
食品の遺伝子を検査する仕組みも、必要だと言います。

農協あるいはJAの問題も、取り上げる人が多く、
不要な農薬や肥料を、強制的に買わされる話しなどは、
今でも形を変えながら、続いていると思われました。
しかし個々人が出来ることは、ひどく限られているので、
社会の方向性を変えるには、多くの人が関わる共同体こそ、
重要な役割を担うとの意見が、皆の共感を呼びました。

日本人の傾向として、人と足並みを揃えることは得意でも、
自分が正しいと思うことを、積極的に言う人は少ない。
特に富山県はその傾向が強く、個人が正しいと思うことを、
貫こうとすると、何かと不利益さえ被ることが多い。
こうした状況を打ち破るために、何が出来るかと考えて、
まずは種子の「シードバンク」作りが、提案されました。

しかしこのシードバンクも、ちゃんと考えると難しい。
例えば持ち寄る種が、どこから仕入れたもので、
過去にどのように育てられたものか、履歴が必要です。
無農薬無肥料で育てられたか、耕した畝で育てられたか、
そうした履歴が分からないと、安心して使えません。
これらの問題をクリアした、シードバンクが出来るのか?

全体として、今まで知らなかった多くの問題に気付き、
さてどうしたものか、と言う状態ではありましたが、
まずは気付いたことで、自分に出来ることもあるでしょう。
今回はここに集まったことで、意識の高い人が多い事を知り、
しっかり考えて意見を言うことから、きっと未来は開ける。
そんな気持ちにさせてくれる、貴重な会となりました。

アスモでコラボ♪

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8日の金曜日に、アスモでイベントがありました。
「寺子こども園」と「ショッピングセンターアスモ」と、
NPOなんと元気」と、そして森美智子さんが協働で、
子どもたちの世界を天井に飾る、小さなイベントです。

僕は寺子こども園に通う姫の、保護者として参加して、
天井に飾る子ども世界の、吊り上げなどを手伝いました。
アスモは民間の企業ではありますが、井波地域に根ざして、
地域における買い物の、最後の砦にもなる場所です。

多くの高齢化した町と同じように、井波地区においても、
商業施設は極端に減っており、生鮮品を買えるのはここだけ?
と言って良いような、厳しい現実が目の前にあるのです。
こども園に通う子どもたちが、大人になったときには、
どんな暮らしになるのかは、厳しいものがあるでしょう。

貧乏な我が家では、家の建て替えも出来ませんから、
姫は大きくなれば、家を出て行く可能性が高いのですが。
何処で何をして暮らそうと、一人で自立して暮らせるように、
せめて身につけられるものだけ、身につけさせてやりたい。
そう思って、何かと挑戦させてはいるのですが・・・

子は親の思うようには、育たないのかも知れませんが、
生活を楽しんで生きることは、最低限覚えさせたいと思う。
今年も夏には石垣島へ行って、砺波平野とは違う世界を、
体験させたやりたいと思うのも、その一環なのです。

僕らが子どもの頃には、南国で何週間も暮らすなんて、
夢に見ることさえできない、本当に別世界のことでした。
それが技術の進歩と、経済成長と、平和の広がりによって、
可能になった奇蹟の時代を、存分に味わわせてやりたい。

そうした未来へ繋がる夢を、一つ一つ現実のものにする、
それは子育てであると同時に、自分の楽しみでもあるのです。
僕自身が学生のときに家を出て、そのまま故郷を離れ、
様々な世界を見て歩いて、自分の生涯を見いだしていった。
その道筋を助けられるなら、助けたいと思うのです。

その手助けは、お金ではない方法でなければならず、
人と人の繋がりも大切ですが、自分の芯も育てて欲しい。
どんな時代になろうとも、揺るがない自分を持って生きる、
そして仲間と共に生きる柔軟性があれば、それでいい。
せっかく産まれた命を、存分に味わえば良いのです。

種子問題を整理する!

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このところ暖かい日が続くようになって、山にも雪は少なく、
そろそろ田んぼの苗床を、準備しても良いかなと思ったりします。
だけどそれは早すぎるので、ジャガイモの植え付けでもやりながら、
10月に植えたエンドウ豆の、世話でもやっておきましょうか。
明日からは更に気温が上がって、4月の気候になるとの予報なので、
今年の四季はどうなるのか、それも大きな心配事ですが・・・

明後日10日の日曜日に、八尾のコミュニティセンターにおいて、
映画「種子」の上映会と、その感想を含めた意見交換会を行います。
そこで簡単にですが、日本における種子問題とは何なのか、
まとめてみましたので、関心のある方は参考にしていただきたい。
まず最低限押さえておきたいのが、◎主要農産物種子法、
種苗法、◎UPOV(ユポフ)条約 ◎ゲノム編集です。

  【主要農産物種子法
1952年に、米・麦・大豆の安定供給を目指して制定され、
1986年に民間参入を求めて改訂されたが、あまり成果が無いまま、
2018年に廃止され、富山県では富山県主要農産物種子生産条例ができた。
企業による新品種の開発などが求められる一方で、企業活動により、
自由な作物生産が出来なくなるのでは、と言った懸念が広まっている。

  【種苗法
1947年の戦後混乱期に、不良種苗の取り締まりや優良種苗の育成、
品種改良などを目的に、農産種苗法として制定されたものです。
1982年には、UPOV(ユポフ)条約加盟に合わせて改訂され、
1991年の全面改定によって、知的所有権の保護が大きな柱となります。
さらに1998年の改定では、種の育成者権が強化されました。

  【UPOV(ユポフ)条約
1965年に作られた、正式名は「植物の新品種の保護に関する国際条約」で、
新しく育成された植物品種を、共通の基本原則で保護することを目的とします。
基本的には農産物の優れた新品種の開発を促し、その保護内容、保護期間、
内国民待遇などの基本原則が定められ、遺伝子組み換えなどを促しました。
1991年の条約では、保護対象が農産物から全植物に広げられました。

  【ゲノム編集
現在世界においては、4種類の育種方法があるとされており、
「固定種(在来種を含む)」「交配種(F1種)」「遺伝子組み換え種」
そして「ゲノム編集種」となりますが、ゲノム編集も遺伝子の組み替えです。
通常の組み替えと違うのは、他の生物の遺伝子を組み入れるのではなく、
その植物が元々持っている遺伝子を、書き換えたり取り除いたりする。

こうした基本知識をもって映画「種子」を見ると、不自然さがよく分かり、
30年前に世界的大問題になった、モンサントの戦略もよく分かります。
今でも彼らの除草剤は、世界中に際限なくばらまかれていますし、
日本では子どもたちが遊ぶ公共の場でも使われ、問題にもなりました。
そして今やモンサントは、ドイツの医薬品会社に吸収されたので、
今後の展開も見えにくくなっているのが、今の国際社会の現状です。

明後日僕らは映画「種子」の上映会と意見交換会を行いますので、
関心のある方は、八尾まで足を運んでいただきたく思います。
1月27日に掲載した案内を、もう一度ここに載せておきます。
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日時:2019年3月10日(日曜日) 午後1時半 開場
                 2時から 上映開始
                 3時から 意見交換会
場所:八尾コミュニティセンター 会議室
              (富山市八尾町井田126)
              センター電話=076-454-6555
料金:500円(茶菓付き)※学生無料
主催:富山自然農を学ぶ会
問い合わせ電話:076-458-1035(森自宅)夜間のみ
同時開催:固定種の種交換会
    (交換できる種をお持ちの方はご持参ください)
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早くもタイヤ交換

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砺波平野の冬期間は、スタッドレスで、
いわゆる冬用タイヤですが、今年は雪が少なく、
もう必要なさそうなので、早々と履き替えました。
これも温暖化だか、地球地軸のズレだか、
例年通りでは無いのが、今世紀の気象です。

軽四ですから、タイヤもそう重くないので、
今のところは、自分でタイヤを交換しています。
しかしこれもあと何年かで、キツくなるのでしょう。
70歳か、できれば72歳までは自力でやって、
その後はその時点で、体力と相談して決めましょう。

車の運転自体は、元気であれば80歳くらいまで、
運転したいと思っていますが、どうなるやら。
今年も夏は沖縄へ行くけど、それだってあと何年、
続けられるか分からないし、海へ潜るのも、
あと数年もすれば、引退することになるのです。

72歳までは、現状維持で家族のために生きて、
その後の12年間は余生、と言うのが僕の予定です。
余生と言っても、姫はまだ中学高校ですから、
何かと面倒は、見なくてはならないでしょうが、
僕自身も、面倒を掛けることが増えると思われる。

とまあ最近は、タイヤ交換するたびに、
あと何年続けられるかと、計算をしてしまう。
20世紀に半世紀と、21世紀も四半世紀を生き、
まだ元気であれば、百年生きるかも知れない。
子どもの頃は弱かったのに、よくもまあ・・・。

その最中に死んだ人?

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少し前のことですが、日々流れるニュースの中に、
心に掛かるものがあったので、書き残しておきます。
それは一度っきりの、さりげない記事でしたが、
どこかのファッションホテルで、人が亡くなった。
50代の女性が、全裸で亡くなったようですが、
外傷は無いので、事件性はなさそうだというものです。

残された男性は、茫然自失でそばに居たとかで、
二人はたぶん、熟年デートの最中だったのでしょう。
浮気か不倫か逢引きか、世間的な関係は知りませんが、
お互いの家には行かないで、ホテルを使っていた。
男も女も気持ちが高まって、激しく燃えて交わったあと、
肉体が限界となって、命を落としたのかも知れない。

そうだとすれば、幸せな最後だったかも知れず、
愛する男に抱かれて、感極まって死んでしまったのか。
昔見た愛欲の映画では、「死ぬ」だの「行く」だの、
叫びながら感極まる人がいたけど、実際には死んでいない。
だけど統計的には、一定数の人が腹上死しており、
決して他人事ばかりとは、言えないようです。

例えば30歳の頃に、付き合っていた女性が、
ホテルで事の最中に、意識を失ったことがあります。
興奮のピークによって、意識を失うと言うことは、
そのまま心臓が停止しても、おかしくなかったのです。
さいわいお互いに若かったので、大事には至らず、
これが50代なら、やっぱり死んだかも知れません。

好きな相手と愛し合って、それで命が絶えるなら、
それは本望だと考えても、良いのではないか。
セックスは肉体的な部分よりも、精神的な部分が多く、
ただ肉体だけで、性欲をそそられることは少ない。
肉体の交わり以上に、お互いの心の交わりを求めるから、
誰でも良いわけではない、誰かを愛してしまうのです。

日本人は特に、心のままに自由に生きることが苦手で、
誰かに教えられたようにしか、人を愛することも出来ない。
もちろん、そうでない人もいるのは分かっていますが、
もっともっと自由に愛し合っても、良いのだと思います。
50代の女性の腹上死も、大いに結構だと思うし、
そのくらい愛し合えた人生なら、幸せというものです。

恋も愛も、いつだって命懸け♪

すべては終わる・・・

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Yahoo!ブログが、今年一杯で終了する、
と聞いたのは、やはり本当のようですね。
このサービスは、25年間続いたようなので、
いわゆる四半世紀、続いたことになります。
そのうち15年間は、僕も利用してきており、
何かとお世話になって、思い出も多い。

会社を辞めた1999年から、2004年まで、
ホームページで、日々記録を書いてきました。
それが2005年の夏から、ブログに移行して、
14年間は、ブログで記事を書き続けてきた。
それが僕の都合ではなく、Yahoo!の都合で、
終わることになるのは、やっぱり寂しい。

Yahoo!にしても、採算の合わない部門は、
いつまでも維持したくない、と判断したのか。
それは民間の会社だから、仕方ないことで、
実際にブログの全盛期は、5~10年前でした。
ちょうど僕が結婚した、2014年前後には、
僕のブログの訪問者も、毎日160人前後だった。

それが仕事のために、記事が書けなくなって、
一年が過ぎて仕事を辞め、復帰したときにはもう、
訪問者の数は少なくなって、頭打ちでした。
それ以降は、訪問者が百人を超えることも少なく、
このブログを使っての活動も、収束してきた、
と言って良いと思うし、時代は変ってきたのです。

トランプ氏に見られるように、国政のことさえ、
スマホの「いいね」で、瞬時に反応が現れる。
ブログ記事のように、時間を掛けて考えることは、
すっかり時代遅れで、見向きもされなくなりました。
社会のあらゆる事が、時間を掛けずに処理されて、
時間を掛けたときには、改竄が行われてしまう。

この先ますます、人々は深く考えなくなり、
情報の素早い拡散と、反応だけが世界を巡る。
それは余計な思惑が入らない、という利点と同時に、
誰かがどこかで罠を仕掛ければ、すぐに騙される。
扇動的な物言いが、人々の意見を誘導して、
思慮に欠けた結論に至る、可能性が高いのです。

だけど、それを嘆くことはもうしません。
時代と共に、様々な習慣も失われていくので、
僕らは時代に合った方法で、意見を言っていく。
やがてまた時代が変るまで、発信を続けて、
新しい時代が切り開かれれば、嬉しいのですが・・。
ダメで元々、やがてすべてが終わるだけでしょう。