「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」

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2005年に発表されて、世界的なベストセラーとなった、
ジョナサン・サフラン・フォアによる長編小説の第2作、
ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」が翻訳され、
7月末にNHK出版から発行されたので、読んでみました。

視覚的な効果を多用した、独特な表現手法が話題だったので、
まずそうした視点から、先入観を持って読んでしまいましたが、
それでもこの作品は、手法が内容を振り回したりはしていない。
複雑に入り組んだ世界を、しっかりと構成をもって描き分けており、
そのための手法として、視覚効果が内容を支えていると言えます。

紙面上で書体を変えたり、文字級数を変えたりする作風だけなら、
けっこう以前からあったものですが、それらのほとんどは、
単純に感情表現の手段として使われることが、多かったと思います。
だけどこの作品では、もう一歩踏み込んだ使われ方をしている。
二つの時代の二つの別々の悲劇に対して、繋がる人間の存在感が、
共通する不言語をもつことで、言葉を超えて表現されている。

読んでいるうちに思い出したのは、リサ・ランドール著になる、
「ワープする宇宙」に出てくる、パステージの考え方で、
同じ「ここ」に在りながら、同時に存在する「別世界」の認識です。
リサの場合は、物理学なのでスケールの違いによる同時別世界ですが、
ジョナサンはそれを文学的表現として、具体的に描いて見せている。

例えば主人公オスカーのママは、常にオスカーを見守り続けており、
オスカーがママに内緒で行動していることも、ママは全部知っている。
しかしそれにも限界があって、ママはその限界を知った上で、
オスカーの世界を受け入れ、邪魔しないようにケアを続けている。
同じようにお婆ちゃんはお婆ちゃんで、お爺ちゃんはお爺ちゃんで、
ドアマンはドアマンで、自分の流儀でオスカーの世界を受け入れている。

なるほどママもお爺ちゃんもお婆ちゃんも、実は同じように、
それぞれの哀しみや触れられたくない世界があり、交錯しているから、
それでもオスカーが大切だと感じているから、受け入れるしかない。
自分に悲しみがあるから、ありのまま受け入れてもらう必要があるから、
幼いオスカーを守るには、まず全部受け入れようと決心している。
その決心をどう表現するかにおいて、愛を持ち出すしかないのですが、
愛はまたあまりにも様々な姿をもって、現実に交錯しているのです。

時代を超えて交錯する、それぞれのパステージにある悲しみや愛が、
オスカーの家系において、常に「それは何か?」問われ続けてもおり、
この問い掛けが、祖父の失語や、父とオスカーの人格を形成している。
こうした繊細な感覚を持ったオスカーが、7歳にして突然父を失い、
しかも尋常ではない死の直前に受け取った、留守電のメッセージによって、
そのときオスカーが電話に出られるのに、出なかったことによって、
彼は大きなトラウマを背負って、この一件を解決したいのです。

偶然見つけた一つの鍵の、鍵穴を探すことで自分を取り戻そうとし、
ニューヨークの町中で危ない冒険を繰り返しますが、結末はあっけない。
まるであっけなさの空白を埋めるために、父の墓を掘り返すのですが、
墓の中はカラッポで、お爺ちゃんがそこに持ってきた手紙を入れて閉じる。
歴史上に起きたいくつもの悲劇に対して、批判や検証をするのではなく、
その時代に巻き込まれた男や女が、どのように生きたかを描くことで、
ひたすら人間を見詰めたのが、この小説の魅力だろうと思います。

単行本で480ページもの長編であり、内容も複雑なのですが、
ほどよい視覚効果で読みやすく、最後まで読み続けることが出来ます。
しかも7歳の少年オスカーと共に、世界で起きていることを読み解いていく、
探偵小説風な進め方も、飽きさせずに考えさせる作風のうまさを感じます。
「人間とは何か?」といった問いを前面に出しながら、難しくならず、
泣いたりわめいたり、そしてオスカーを優しく見守る大人たちの視線にこそ、
この作品の輝きである、人間としての愛の在り方が描かれているのです。
 
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