「夏草のフーガ」

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お婆ちゃんの意識が、ある日突然、中学一年生に戻ってしまう。
そんな荒唐無稽なファンタジック小説なのですが、読み始めると、
文章がわかりやすく明瞭完結で、するすると読めていきます。
いったいどんな人が書いているのかと思えば、すでに中堅作家で、
主人公が中学生であることを、違和感なく表現して見せている。

作者の、ほしおさなえさんの作品を読むのは、初めてなのですが、
最初から最後までストレスなく読み終えたのは、作者の技量でしょう。
荒唐無稽さを投げやりにせず、しっかり辻褄が合っているから、
読んでいる方は、ついつい物語の世界に嵌められてしまう。
こんなことが現実に起きるかどうかではなく、内容が前面に出て、
人間の何か、大切なものを考えさせる力量が確かにあるのです。

長い人生の中で、男ではなく女が感じ取る連帯感のようなもの。
女性の体内で女の子が宿り成長するときに、その胎内の女の子には、
すでに将来宿るべき子の卵細胞が用意されている、なんて話は、
正直言って、信用していいのかどうかもよくわからないことですが。
それを一蹴するには、あまりにもこの小説の現実は重いのです。

この小説では、男の考えはどちらかと言えば外側にあって、
全体として、女にしかわからないものがあることを、物語っている。
それはちゃんと説明されているわけではないまま、だけど外郭はあり、
読んでいる内に、少なくとも女にしかわからない何かがあることを、
どうしても意識させられてしまうのが、作品のうまいところです。
お婆ちゃんから娘、そして孫にいたるまでの三代の実感においても、
絶えず繋がっている不思議な意識が、うまく伝わってくる。

いかに長い人生を生き終えるとも、その核となる部分は同じ、
中学一年生から三年生に至る、三年間に凝縮されているのも興味深く、
それが三代続く中で、代を重ねる毎に可能性が増えていく様子も見える。
男と女は別世界と思っていた僕に、単なる理解放棄ではなく、
理解可能な別世界として、さらけ出して見せてくれたものは大きくて、
周辺に出てくる男性の世界まで、しっかりと根が張っているのが嬉しい。

さらに言えば、僕はこの小説を愛さずにはいられないわけで、
どうしてかと言えば、人間に対する深い洞察と共感が満ちている。
男の理論ではなく、合理的でさえない女の感覚を正面から取り上げて、
だけど観念に陥らないために、お婆ちゃんの13歳への変身がある。

この本は、先月書き下ろしで発売されたばかりである以上に、
舞台が3.11以後の日本の東京なのも、同時代性として読み応えがあり、
現代人が抱えていた不寛容についても、深く考えさせてくれるのです。
家族とは何か? そして人生とは何か? そんな大きな課題を、
三代の女性に降りかかる難題と共に、描いてみせるのですが、
決して悲観的になることなく、不思議な明るさを持っていて興味深い。

なにげなく読み始めたら、一気に最後まで読んでしまった本でもあり、
この本の面白さを思うにつけても、作者の力量を讃えずにはいられません。
私小説的なものが主流かと思われる、日本の小説世界において、
こうしたファンタジックなものに、人生の本質を問いかけられると、
現実とは何か?が、あらためて様々な様相を持って見え隠れするのです。
確かに僕らの人生は、説明の付かない価値観に依存しているのだと思う。

単なる荒唐無稽ではない、しっかりと問いかけてくるものがあって、
読者はあらためて、読者としての力量を問われずにはいられない。
まだうまく説明はできませんが、それでも確かにこの作品は、
秀作であるかどうか以前に、人間として愛さずにはいられないのです。
是非とも多くの人に、読んでいただきたい小説でした。