ランドセル
8月に買ったランドセルが、昨日仕上がり、
高岡イオンまで行って、受け取ってきました。
ランドセル業界の事情も、あるとは思いますが、
早い人は春の連休中に、翌年のランドセルを買う。
一年も先のものは、好みも変るかも知れない、
なんてことは、余計な心配なのでしょう。
高岡イオンまで行って、受け取ってきました。
ランドセル業界の事情も、あるとは思いますが、
早い人は春の連休中に、翌年のランドセルを買う。
一年も先のものは、好みも変るかも知れない、
なんてことは、余計な心配なのでしょう。
実際にお金を出すのは、お爺ちゃんかお婆ちゃんか、
親戚筋がほとんどで、親はあまり口出ししない。
従って子ども本人の好みが、優先されるのですが、
親ではないから、めずらしく遠慮して主張できない。
それがなんとなく分かるから、やっぱり親が介入して、
本人が好きな色柄を、選ばせて決めることになる。
高岡イオンまで、車で一緒に出掛けましたが、
ランドセルを受け取ると、嬉しかったのでしょう。
普段とは様子も違うし、早く家に帰ろうと言うことで、
途中で牛乳などの買い物はしましたが、すぐに帰宅。
家に帰ってランドセルを出すと、急いで背負って、
そのまま用も無いのに、ずっと背負っていたのです。
小学生になるまで、いよいよあと三ヶ月ですが、
この時期には、どうしても思い出すこともあります。
僕自身の入学前の事なんて、何も覚えていないし、
たぶんお袋にまとわりついてただけ、だったでしょう。
むしろ思い出すのは、せっかく授かった子どもが、
小学校へ入学する直前に、癌で亡くなった人のことです。
子どもが一番かわいい時期に、癌に冒されて伏せり、
あまり一緒に遊べないまま、入学も見ずに死んでいった。
「わたし死ぬのね」と言った、その人のことを、
夫だった人は、泣きながら送って詩集を出しました。
まだ若い二人が出来なかったことに、僕が近づくのを、
あの人たちは、どう思ってくれるのだろうか?
生きる覚悟、死ぬ覚悟、産む覚悟、様々あるけど、
覚悟がなくても、その時は訪れるのだとすれば、
覚悟してその場に立って、すべてを味わい尽くしたい。
奇蹟としか言いようのない、この世界に生きてある自分を、
精一杯奮い立たせて、存分に活き切ってみたいと思う。
と覚悟はしていても、老いは緩やかに私を包み込む・・・