書き続けたわけ
書き留める、あるいは映像に残す、
と言った記録する行為は、人間独自のものです。
これが故に、人間であるのかも知れない、
と言えるくらいに、人間的な行為だと思うのです。
と言った記録する行為は、人間独自のものです。
これが故に、人間であるのかも知れない、
と言えるくらいに、人間的な行為だと思うのです。
子どもの頃には、映画、本、テレビ、新聞があって、
それぞれにドキュメンタリーと、創作があった。
必ずしも創作が嘘で、ドキュメンタリーが真実でもなく、
制作する人の心次第で、何でもありの表現の世界。
だけど過去のあらゆる知識は、こうした記録によって、
在りしものとして認識し、様々な思いも巡るのです。
記録のないものは、存在したことさえ危うく、
すべて忘れ去られて、なかったものとなっていく。
だからこそ僕は、創作する世界に憧れていたし、
小説や音楽や映像を、大切に思って生きてきました。
自らも小説家を目指し、何冊かの本も出版したし、
このブログを書き続けたのも、記録を残したかったから。
僕自身が消えてしまう前に、記録が消えてしまうのは、
いかにも寂しいけど、また一つ新しい生が始まる。
そう考えれば、大きな可能性があるわけで、
この可能性を楽しめれば、最高に素晴らしいのです。
いずれ死ぬと思えば、何が失われようと、
恐れることではないし、受け入れて味わえば良い。
まるで転生ように、新しく生き直せる、
身に余る幸せと、受け止めてみたくもある。
子育ては・・・
右端の一番小さいのが姫ですが、小学生になって最初の挑戦は踊りです。
本人は最近のダンスが好きで、プリパラを歌いながら踊るのが好きで、
日本舞踊を踊る気は、無かっただろうと思います。
でもそれは知らないからで、まだ世界が狭いのですから、
知らないことをいろいろ教えて、世界を広げて欲しいと思っています。
子どもに対して親が出来ることは、せいぜいそんなことだと思うので、
広がった世界の中で、将来自分は何をしたいのかを考えていただきたい。
好きなことを見つけたら、それに夢中になってもかまわないし、
特に夢中になるものがなくても、様々な経験は彼女を助けてくれるでしょう。
やがて見守るしかない時が来ても、心は通じていたいと思います。
さてこのメンバーですが、井波では以前から祭りの時に、
中新町には屋台があるのですが、この屋台の上で踊りがありました。
いわゆる踊り屋台で、ここ10年ほどは中止になっていましたが、
井波が日本遺産になったことを受けて、復活することになったのです。
その踊り手が、この写真のメンバーと言うことです。
近くは5月3日の「よいやさ祭り」で、披露されますので、
近隣で見に来られる方は、ご覧になってください。
とは言え、田舎のお祭りの出し物ですので、
踊りの質までは、期待されないようにお願いします。
にわか仕立ての踊り子たちなので、皆これが初舞台のようですから。
15年間にやったこと
今では懐かしい北陸平和映画祭のチラシ
15年間続けたブログなので、この間に何をやってきたのか、
最後に振り返りをしておくのも、何かの意味はあるだろうと思う。
特にこの「市民活動ネット」は、具体的な活動記録なので、
この間に自分が何をしていたのかは、自分でも興味深いのです。
富山へ戻って最初にやったのが、N.Y.911テロを受けた、
平和活動でしたが、これは主に東京を中心とした活動でした。
最後に振り返りをしておくのも、何かの意味はあるだろうと思う。
特にこの「市民活動ネット」は、具体的な活動記録なので、
この間に自分が何をしていたのかは、自分でも興味深いのです。
富山へ戻って最初にやったのが、N.Y.911テロを受けた、
平和活動でしたが、これは主に東京を中心とした活動でした。
JJプロジェクトに参加して、MLを中心に意見発信して、
時々行われた東京でのミーティングにも、参加していたのです。
そして東京平和映画祭に、スタッフ参加するようになると、
富山で自然農に参加するようになり、砺波で”まみあな”を始める。
このまみあな活動は、僕は一年しか参加できませんでしたが、
自分が何をやろうとしているのかを考える、貴重な体験でした。
JJプロジェクトの合宿を、まみあなでしたのも思い出深く、
ここで知り合った人たちは、その後の僕の貴重な宝物となりました。
翌年には沖縄へ渡って、伊江島平和映画祭を実現できたのも、
大勢の仲間に助けられてのことで、素晴らしい思い出となっています。
そして2006年の5月には、このブログで紹介している通り、
北陸平和映画祭を実現して、ここでも大勢の人と知り合いました。
鎌仲ひとみさんや田中優さんと親しくなったのも、この頃です。
「女性の政治参画」では、高岡市長や国会議員とも意見交換して、
原子力政策への反対や、男女共同参画を申し入れたりしていたのです。
この頃は高岡での活動が多く、ぴ~す・フィルム・ネットとして、
Eネットのメンバーとなって、様々な勉強会を開催していたのです。
その他「ネットワーク地球村」「ガイアの集い」「ピースウオーク」
「富山自然農を学ぶ会」「まみあな活動」「シャキット富山」
「公共哲学ネットワーク」「憲法9条懇談会」等々の活動があります。
アースディに顔を出すようになったのも、この頃でしたし、
2007年には、合併して大きくなった南砺市で自主講座も企画。
「市民活動・入門講座」を開いて、市民活動の広がりを促すと、
自分も富山県民生涯学習カレッジ、学びのリーダー育成セミナーに参加。
この頃はまだ原発の安全神話が信じられていましたが、そんな中で、
「六ヶ所村ラプソディ」や「みえない雲」の上映会も開催したのです。
池田晶子さんを取り上げた、読書会をしていた頃に自宅で取材があり、
KNBの報道政策局の人と、自然農の話題で盛り上がったりした。
「国会ネット」県議会ネット」「高岡市議会ネット」を何度も開催し、
その報告なども、このブログにアップして公開していました。
高岡市長との意見交換は数多く、その後市長は国会議員となって、
ほとんど交流がなくなったのは、なんとも残念な気がします。
高岡市の活動ではその後も、まちづくりに関わり続けるために、
「NPOひと・みち・まち」が立ち上げられて、今も続いています。
僕自身は南砺市に田中市長が誕生して、協働のまちづくりが始まると、
次第にそちらの活動が中心となって、高岡市・富山市とは離れます。
僕のテーマは「協働のまちづくり」と「生き方としての自然農」となり、
この流れに沿って、読書会や雑穀料理教室などを開催していました。
僕は今よりも元気で、南砺市の市民活動はようやく広がりを見せていた。
富山県市町村新人研修セミナー、とやまNPO協働チャレンジセミナー、
個人企画としては、「DVDで考える21世紀・僕らの課題」など。
2010年前後は、自分でも精力的に市民活動をしていたと思いますし、
その中心となったのは、平和活動と脱原発そして生き方の事でした。
どう生きれば良いかが直接テーマとなり、ブログも精力的に書いていた、
それが2011年の3月11日に、大きな挫折を味わうのです。
危惧したとおりのことが、現実になってしまったのです。
2011年には”ひとのま”が開設され、僕は自然農のエリアを広げ、
井波では八日町で、「縁カフェ」がオープンしていきます。
市民活動の方向を探るために、四国での研修に参加したときは、
現在の妻である女性と知り合って、家族を持つことを考えました。
マルシェや食事会が、僕の市民活動の中心に上がってきて、
政治的な課題は、少しずつ関心を失っていったのかも知れません。
何をしているのか?
うまい具合に寒暖が進んで、砺波平野の桜は、
もう一週間以上も、ずっと満開が続いている感じです。
ソメイヨシノやエドヒガン、ばかりではないので、
ヤマザクラまで含めると、まだ暫くは楽しめる。
今日の写真は、昨日の桜が池で満開だった桜ですが、
井波の大門川沿いも、庄川の水記念公演も満開でした。
Yahoo!ブログが終了する、と突きつけられたことで、
書くとは何か、何故書き留めようとするのか考えました。
人は産まれて生きる中で、様々なことに出会い受け止めると、
それを言葉にしたり、絵に描いたりして表現する。
「受け止めて」「考え」「表現する」を続けることで、
何ものかになろうとするし、実際になっていきます。
書くとは何か、何故書き留めようとするのか考えました。
人は産まれて生きる中で、様々なことに出会い受け止めると、
それを言葉にしたり、絵に描いたりして表現する。
「受け止めて」「考え」「表現する」を続けることで、
何ものかになろうとするし、実際になっていきます。
やがてその繰り返しの中から、理念による想いが生まれ、
新たな方向を定めて、意思によって生きるようになる。
こんどは大きな挫折や、辛い苦労を味わいますが、
自分が何をしたいのか分かっているので、耐えられます。
同時に理想に近づく楽しみも知り、共感の喜びを知ることで、
価値観を高め、我欲に走らないようにもなるでしょう。
新たな方向を定めて、意思によって生きるようになる。
こんどは大きな挫折や、辛い苦労を味わいますが、
自分が何をしたいのか分かっているので、耐えられます。
同時に理想に近づく楽しみも知り、共感の喜びを知ることで、
価値観を高め、我欲に走らないようにもなるでしょう。
そして「生き方」の大切さに、気付かされたとき、
人生における最大の課題、どう生きるのかを考えるのです。
「表現する」のは、あらゆる個人の自由であるが故に、
自分と向き合うことが大切になって、自然と切磋琢磨する。
自分とは何か、自然とは何かと考えること自体で、
気がつけば、自分を生きていることにもなるのです。
人生における最大の課題、どう生きるのかを考えるのです。
「表現する」のは、あらゆる個人の自由であるが故に、
自分と向き合うことが大切になって、自然と切磋琢磨する。
自分とは何か、自然とは何かと考えること自体で、
気がつけば、自分を生きていることにもなるのです。
小農と農村で働く人びとに関する権利
昨年2018年の12月に、ニューヨークの国連総会において、
小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言(小農の権威宣言)が、
賛成多数(121カ国)で可決されましたが、日本は棄権しています。
これは2012年3月に提出された、小農の権利保護に関する報告書以来、
国連人権理事会諮問委員会で、6年以上にわたって議論されてきたものです。
小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言(小農の権威宣言)が、
賛成多数(121カ国)で可決されましたが、日本は棄権しています。
これは2012年3月に提出された、小農の権利保護に関する報告書以来、
国連人権理事会諮問委員会で、6年以上にわたって議論されてきたものです。
残念ながら人権や自由の分野では、世界的に後進国である日本は、
この宣言も投票を棄権しましたが、世界の趨勢は変ることがありません。
ちなみに国連総会の採択では、賛成121カ国、反対8カ国、棄権54カ国で、
反対したのはアメリカ、イギリス、オーストラリアなど既得権所有国です。
「人権は当然尊重されるべきだが、種子など個別の権利を上乗せすることは、
まだ国際社会で議論が成熟していない」(日本国外務省人権人道課)
米国以外の先進国も、農業開発や農地投資などのビジネスを抱えており、
小農の権利を否定しないものの、これで世界の農業のあり方が仕切られることを、
警戒して嫌がったことは、誰が見ても間違いの無い事実でしょう。
世界経済は金融利子の問題を抱えて、あるいは投資利益の問題を抱えて、
袋小路に迷い込んだまま、いつ抜け出せるか見当が付いていません。
そうした金融大国は、かつての世界大航海時代のオランダやスペインのように、
やがて没落して新しい国々の繁栄を迎えるのか、このまま成長を続けて、
どうにもならなくなって破綻するのか、どちらかになるしかないでしょう。
経済と言えども、実効支配が伴わなければ誰も言いなりにはならないわけで、
その実効支配は、限りなく軍事的な実効支配と連携しているのも事実です。
だからこそアメリカもイギリスも中国もロシアも、軍事力を重視する。
世界の目指すべき方向を示した、国連のSDGsが掲げる人権は、
決して北朝鮮やアフリカの内戦する国々など、軍事的な抑圧ばかりでなく、
もっと誰にとっても身近に、自由に生きる事への権利でもあるのですが・・・
例えば日本人は、そうした自由度においてひどく束縛されていながら、
北朝鮮や中国の様々な不自由と比べて、自由に生きていると信じ込んでいる。
だけど実は世界的な視野で見れば、社会の寛容度は低いままだし、
女性や子どもの人権に関しては、口にするのも憚られる雰囲気さえある。
そして実際に悲惨な事件が起きて初めて、新聞やテレビのマスコミが騒ぎ出し、
あたかも新しい社会情勢として、様々なコメントが飛び交うのです。
まさに原発事故がそうであったように、理性ある人々は危険性を知っていたのに、
事件が起きてマスコミが騒ぎ出すまで、危機はなかったことになっている。
土と農業と農村で働く人の権利においても、すでに危機的状況にあると、
知っている人は知っているのに、マスコミが報じないと「ない」ことになる。
ほんの50年前まで、この国を長く支えてきたのは土と気候と農業ですが、
この半世紀の間に化学薬品で土は疲弊し、気候さえ異常を来たして、
ついには農村の暮らしが、成り立たなくなってきているのです。
僕らはもう一度謙虚になって、社会は何処を目指しせば良いのかを考え、
多くの人が議論することで、社会的合意を持てるようにすべきだと思います。
協働も小規模多機能も、市民参画の合意によるまちづくりを目指すべきで、
その意味では、小農と農村で働く人びとに関する権利も同じ事です。
誰も置き去りにしないで、皆が自由に生きて幸せになれる社会造りを目指す、
僕はそのように信じて、自然農も続けて行こうと考えているのです。
7月でブログを終わります!
Yahoo!ブログのシステムが、今年中に終わることを受け、
僕もこのブログを、7月で終わらせることにしました。
それだって15年にわたって、書き続けてきたこともあり、
7月までの4ヶ月間は、15年ないし井波に住み始めて20年の、
まとめ的なことを、やっておきたいと考えています。
僕もこのブログを、7月で終わらせることにしました。
それだって15年にわたって、書き続けてきたこともあり、
7月までの4ヶ月間は、15年ないし井波に住み始めて20年の、
まとめ的なことを、やっておきたいと考えています。
Yahoo!システムでは、7月いっぱいで書き込みが終わる、
とのことですし、僕は7月30日から沖縄へ行きますので、
この沖縄行きをきっかけに、ブログの記入を終えると言うことです。
その後は年内一杯ブログは公開されますが、記入は出来ませんし、
イソップ通信を、他のブログに移すこともしないつもりです。
僕の今後の予定としては、何年かは学校の仕事を続けて、
同時に自然農の方も、体力が許す限りは続けたいと思っています。
市民活動に関しては、もう僕の出る幕でもないようですから、
たまに意見を言う程度にして、あとは若い人たちにお任せしたい。
もう世代交代する時期だろう、と考えているのです。
そして願わくば今後数年間は、昔の創作活動をもう一度、
つまり原稿を書いて、小説に仕上げてみたいと考えています。
18歳の頃から、自分を表現するために原稿を書いてきて、
半世紀が過ぎようとしていますから、僕の中で変ってきたこと、
変らずにいることなどを、もう一度見つめ直してみたい。
ありがたいことに、僕には20歳の頃に「ディラックの海辺にて」
を書いて本になっていますから、これを手掛かりにして、
人間とは何か、人生とは何かをもう一度問い直してみたいのです。
コツコツと日常を過ごしながら、人間とは何かを考えるのは、
学生のことから始まって、死ぬまで続けることになるかも知れない。