15年間にやったこと

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今では懐かしい北陸平和映画祭のチラシ

15年間続けたブログなので、この間に何をやってきたのか、
最後に振り返りをしておくのも、何かの意味はあるだろうと思う。
特にこの「市民活動ネット」は、具体的な活動記録なので、
この間に自分が何をしていたのかは、自分でも興味深いのです。
富山へ戻って最初にやったのが、N.Y.911テロを受けた、
平和活動でしたが、これは主に東京を中心とした活動でした。

JJプロジェクトに参加して、MLを中心に意見発信して、
時々行われた東京でのミーティングにも、参加していたのです。
そして東京平和映画祭に、スタッフ参加するようになると、
富山で自然農に参加するようになり、砺波で”まみあな”を始める。
このまみあな活動は、僕は一年しか参加できませんでしたが、
自分が何をやろうとしているのかを考える、貴重な体験でした。

JJプロジェクトの合宿を、まみあなでしたのも思い出深く、
ここで知り合った人たちは、その後の僕の貴重な宝物となりました。
翌年には沖縄へ渡って、伊江島平和映画祭を実現できたのも、
大勢の仲間に助けられてのことで、素晴らしい思い出となっています。
そして2006年の5月には、このブログで紹介している通り、
北陸平和映画祭を実現して、ここでも大勢の人と知り合いました。
鎌仲ひとみさんや田中優さんと親しくなったのも、この頃です。

「女性の政治参画」では、高岡市長や国会議員とも意見交換して、
原子力政策への反対や、男女共同参画を申し入れたりしていたのです。
この頃は高岡での活動が多く、ぴ~す・フィルム・ネットとして、
Eネットのメンバーとなって、様々な勉強会を開催していたのです。
その他「ネットワーク地球村」「ガイアの集い」「ピースウオーク」
「富山自然農を学ぶ会」「まみあな活動」「シャキット富山」
「公共哲学ネットワーク」「憲法9条懇談会」等々の活動があります。

アースディに顔を出すようになったのも、この頃でしたし、
2007年には、合併して大きくなった南砺市で自主講座も企画。
「市民活動・入門講座」を開いて、市民活動の広がりを促すと、
自分も富山県生涯学習カレッジ、学びのリーダー育成セミナーに参加。
この頃はまだ原発安全神話が信じられていましたが、そんな中で、
六ヶ所村ラプソディ」や「みえない雲」の上映会も開催したのです。

池田晶子さんを取り上げた、読書会をしていた頃に自宅で取材があり、
KNBの報道政策局の人と、自然農の話題で盛り上がったりした。
「国会ネット」県議会ネット」「高岡市議会ネット」を何度も開催し、
その報告なども、このブログにアップして公開していました。
高岡市長との意見交換は数多く、その後市長は国会議員となって、
ほとんど交流がなくなったのは、なんとも残念な気がします。

高岡市の活動ではその後も、まちづくりに関わり続けるために、
NPOひと・みち・まち」が立ち上げられて、今も続いています。
僕自身は南砺市に田中市長が誕生して、協働のまちづくりが始まると、
次第にそちらの活動が中心となって、高岡市富山市とは離れます。
僕のテーマは「協働のまちづくり」と「生き方としての自然農」となり、
この流れに沿って、読書会や雑穀料理教室などを開催していました。
僕は今よりも元気で、南砺市の市民活動はようやく広がりを見せていた。

富山県市町村新人研修セミナー、とやまNPO協働チャレンジセミナー、
個人企画としては、「DVDで考える21世紀・僕らの課題」など。
2010年前後は、自分でも精力的に市民活動をしていたと思いますし、
その中心となったのは、平和活動と脱原発そして生き方の事でした。
どう生きれば良いかが直接テーマとなり、ブログも精力的に書いていた、
それが2011年の3月11日に、大きな挫折を味わうのです。
危惧したとおりのことが、現実になってしまったのです。

2011年には”ひとのま”が開設され、僕は自然農のエリアを広げ、
井波では八日町で、「縁カフェ」がオープンしていきます。
市民活動の方向を探るために、四国での研修に参加したときは、
現在の妻である女性と知り合って、家族を持つことを考えました。
マルシェや食事会が、僕の市民活動の中心に上がってきて、
政治的な課題は、少しずつ関心を失っていったのかも知れません。