小農と農村で働く人びとに関する権利

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昨年2018年の12月に、ニューヨークの国連総会において、
小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言(小農の権威宣言)が、
賛成多数(121カ国)で可決されましたが、日本は棄権しています。
これは2012年3月に提出された、小農の権利保護に関する報告書以来、
国連人権理事会諮問委員会で、6年以上にわたって議論されてきたものです。

残念ながら人権や自由の分野では、世界的に後進国である日本は、
この宣言も投票を棄権しましたが、世界の趨勢は変ることがありません。
ちなみに国連総会の採択では、賛成121カ国、反対8カ国、棄権54カ国で、
反対したのはアメリカ、イギリス、オーストラリアなど既得権所有国です。
「人権は当然尊重されるべきだが、種子など個別の権利を上乗せすることは、
まだ国際社会で議論が成熟していない」(日本国外務省人権人道課)

米国以外の先進国も、農業開発や農地投資などのビジネスを抱えており、
小農の権利を否定しないものの、これで世界の農業のあり方が仕切られることを、
警戒して嫌がったことは、誰が見ても間違いの無い事実でしょう。
世界経済は金融利子の問題を抱えて、あるいは投資利益の問題を抱えて、
袋小路に迷い込んだまま、いつ抜け出せるか見当が付いていません。

そうした金融大国は、かつての世界大航海時代のオランダやスペインのように、
やがて没落して新しい国々の繁栄を迎えるのか、このまま成長を続けて、
どうにもならなくなって破綻するのか、どちらかになるしかないでしょう。
経済と言えども、実効支配が伴わなければ誰も言いなりにはならないわけで、
その実効支配は、限りなく軍事的な実効支配と連携しているのも事実です。
だからこそアメリカもイギリスも中国もロシアも、軍事力を重視する。

世界の目指すべき方向を示した、国連のSDGsが掲げる人権は、
決して北朝鮮やアフリカの内戦する国々など、軍事的な抑圧ばかりでなく、
もっと誰にとっても身近に、自由に生きる事への権利でもあるのですが・・・
例えば日本人は、そうした自由度においてひどく束縛されていながら、
北朝鮮や中国の様々な不自由と比べて、自由に生きていると信じ込んでいる。

だけど実は世界的な視野で見れば、社会の寛容度は低いままだし、
女性や子どもの人権に関しては、口にするのも憚られる雰囲気さえある。
そして実際に悲惨な事件が起きて初めて、新聞やテレビのマスコミが騒ぎ出し、
あたかも新しい社会情勢として、様々なコメントが飛び交うのです。
まさに原発事故がそうであったように、理性ある人々は危険性を知っていたのに、
事件が起きてマスコミが騒ぎ出すまで、危機はなかったことになっている。

土と農業と農村で働く人の権利においても、すでに危機的状況にあると、
知っている人は知っているのに、マスコミが報じないと「ない」ことになる。
ほんの50年前まで、この国を長く支えてきたのは土と気候と農業ですが、
この半世紀の間に化学薬品で土は疲弊し、気候さえ異常を来たして、
ついには農村の暮らしが、成り立たなくなってきているのです。

僕らはもう一度謙虚になって、社会は何処を目指しせば良いのかを考え、
多くの人が議論することで、社会的合意を持てるようにすべきだと思います。
協働も小規模多機能も、市民参画の合意によるまちづくりを目指すべきで、
その意味では、小農と農村で働く人びとに関する権利も同じ事です。
誰も置き去りにしないで、皆が自由に生きて幸せになれる社会造りを目指す、
僕はそのように信じて、自然農も続けて行こうと考えているのです。