稲刈り日和
暖かい日が続いて、稲刈り日和となりました。
コシヒカリの人たちでは、すでに脱穀も終わって、
トウミ掛けや、籾摺りを始めている人もいましたが、
僕らの主力種イセヒカリでは、今が稲刈りの最盛期です。
晴れ渡った体育の日には、次々に参加者がやってきて、
自分の田んぼで、思い思いの稲刈りをやっていました。
コシヒカリの人たちでは、すでに脱穀も終わって、
トウミ掛けや、籾摺りを始めている人もいましたが、
僕らの主力種イセヒカリでは、今が稲刈りの最盛期です。
晴れ渡った体育の日には、次々に参加者がやってきて、
自分の田んぼで、思い思いの稲刈りをやっていました。
僕はイセヒカリ、黒米、背高黒米、餅赤米の稲刈りを終え、
次は野毛赤米と香り米と、どちらが先になるかを見ています。
今年は早めに終えたいので、晩稲のトヨサトはありません。
それでもミドリ米はやめられないので、これを最後とすれば、
最終的には20日前後の稲刈りを、予定してはいますが、
これもまた台風だとか、自然の状態に左右されます。
大型の機械を導入して、大規模な農業をすれば、
補助金ももらえるし、経営的には安定するでしょう。
だけど自然から離れた農業は、人に様々な負荷を負わせ、
アトピーや免疫不全や、自律神経の異常や不妊など、
様々な現代特有の不調を起こす、原因の一つではないのか?
そう思うから、自分で手作業で自給自足を目指しています。
現代では究極の贅沢とも見られる、自給自足的な生活は、
実は誰でも、一歩踏み出せば出来ることでもあるでしょう。
だって場所さえ有れば、資金も道具もたいして要らないのだし、
五体満足であれば、特別優れた能力がなくても出来る。
医療や福祉の観点から、自然農を始めた人もあるくらい、
自然農は人間の全一性の、大きな鍵でもあるのです。
一年の季節サイクルと共に、米を手作業で育てていると、
その年々に、違うサイクルがあるのがわかります。
去年はまったく育たなかった赤餅米が、今年は良く育って、
こぼれ種さえ、他の品種よりもよく育っていたりする。
そんな姿を見ながら、今年の一年を振り返って見るとき、
自分が人間としてどうだったのか、見えても来るのです。
自然の一部でしかない人間が、自然界を壊すとき、
様々な異変が始まって、最後は精神にまで異常をきたす。
本来あるべく姿を見失って、人為的に作られた価値観に溺れ、
溺れるものが掴む藁の如くに、民族意識や国家が持ち上げられて、
本来の宝である、人々の自由な意志が蔑ろにされるのです。
あらゆる問題とは、問題をもたらす人の在り方から来るのです。