不思議なこと
昨日は良い天気でしたが、農作業などはしないで、
家でふとんを干したり、部屋の片付けをしていました。
彼女と暮らす部屋の、使い勝手をよくするために、
少しずつ模様替えをしている、その片付けでもあります。
そこで長らく邪魔だった、姉の大きな化粧用道具を、
片付けようとして動かしたら、思わぬものが出てきました。
家でふとんを干したり、部屋の片付けをしていました。
彼女と暮らす部屋の、使い勝手をよくするために、
少しずつ模様替えをしている、その片付けでもあります。
そこで長らく邪魔だった、姉の大きな化粧用道具を、
片付けようとして動かしたら、思わぬものが出てきました。
昨年お亡くなりになった、高岡法科大学の谷口先生の、
ミレニアムホールで行われた、送る会の案内栞です。
谷口先生には、高岡で市民活動をするようになって以来、
何度もお世話になって、お礼らしいこともしていませんでした。
2006年に企画した、「ぴーすフィルムフェスタ」では、
映画「日本国憲法」の解説もしてもらい、何のお礼もしていない。
全員ボランティアで実行した、平和映画祭だったので、
謝礼は出せないのをわかっていて、快く引き受けていただいた。
その後は奥様の「源氏物語勉強会」にも、参加させていただいて、
何度も自宅へお邪魔して、楽しい時間を過ごさせていただきました。
自宅でのコンサートに呼ばれて、生演奏を聴いたこともあるし、
要らなくなった服を、いただいたこともあるのです。
しかしながら、僕の生活も少しずつ変わってきたことで、
源氏物語の勉強会には行けなくなり、お会いすることも減って、
ちょうどそんな頃に、先生の訃報を聞くことになったのです。
ミレニアムホールでのお別れ会で、朗読を頼まれたときは、
ちょうど新しく関係を持った人たちと、能登へ行く日で、
僕は新しい関係を優先して、送る会には行かなかったのです。
振り返らずに前へ進むのは、僕が身につけた生き方でもあり、
長く続けた旅の暮らしが、僕に前へ進むことを選ばせるのです。
僕にとって生きるとは、前に進み続けることでもあって、
それをやめる時は、死ぬ時と心に決めているのかも知れません。
そして様々な巡り合わせや、今回のような偶然の導きで、
何か大切なものを、忘れないように思い出させてもらうのです。
東京から井波に移り住んで、田舎暮らしが12年になるとき、
僕はまた自分の生活を、大きく変えつつあったと言えるでしょう。
その大きな変化を目前にして、僕は必死で生きていたから、
過去を振り返る余裕もなかったし、前に進むしかなかったのです。
それから一年が過ぎて、大きな変化は確実に定まって、
僕は今落ちついて、新しい暮らしを始めようとしています。
あれから一年目の昨日、僕はようやく谷口先生の死と向き合い、
あらためて感謝すると共に、懐かしく思い出すのです。
まだしばらく、源氏物語の勉強会に参加する余裕はないけど、
無事に方向転換を終えた僕は、残された奥様の安否も気に掛かる。
もう少し先になるにしても、落ちつく先が見えてきたことで、
人の生き死にが、また一つ身近になったからでしょうか。
ちょうど一年前の10月9日が、谷口先生を送る会の当日でした。
「ありがとう。ごめんなさい。ありがとう。ごめんなさい・・・。」
奥様の手記に書かれた最後の言葉に、万感の思いがありました。