対話型社会への試み

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当時僕のブログでも紹介した、サンデル教授の白熱教室は、
対話型の議論をしながら、問題点を明確にして解決を探る点で、
日本で現代教育を受けた人には、大きな衝撃だったでしょう。
なにしろ日本では、正しいことはお上が決めることになっていて、
下々の者たちは、それを覚えることが勉強することだったのです。
したがって、その内容に疑問を持っていても口には出さずに、
表面的には「お上ごもっとも」の考えで、試験だって通ります。

こんな教育で優秀だった者が、自由な発想を求められても、
本音と建前が混乱するから、何を発言していいのかわかりません。
指名されれば、意見を言えないことの言い訳は上手ですが、
言い訳ばかり考えているから、新しい発想なんて出てきません。
社会的なステータスを全部捨てて、なんとか自由になれば、
言いたいことは言えるでしょうが、聞く人もいなくなるので、
対話型議論なんて、単なる形式としか思われなかったのです。

だけど最近は様子が変わって、「お上ごもっとも」でなくなり、
何が正しいことなのか、自分で考えるしかない社会になった。
民主党政権交代もそうだったし、原発事故の対応だってそうで、
お上の言葉はまったく信用を失って、ごもっともとは言い難い。
そんな中で脚光を帯びてきたのが、対話型の議論によって、
何が正しいのか、どうあるべきなのかを模索していく態度であり、
これが白熱教室で紹介された、対話型議論の本質なのです。

この対話型議論を解説し、日本で進めている小林正弥教授は、
公共哲学の名の下に、近年多くの試みをされてきています。
今週末の13日には、東京都の賀川豊彦記念館において、
対話型集会「友愛平和の風を吹かせるためにーー
  これからの平和・環境・福祉運動について考えよう」があって、
小林教授の他に、稲垣久和さん、千葉眞さん、黒住真さん、島薗進さん、
上村雄彦さん、竹村英明さん、八代江津子、鎌田東二さんが出席される。

今の僕にとって東京は遠いので、直接参加することは出来ませんが、
日本にこうした動きがあることが、大きな心の支えになっている。
そして社会全体を見ても、対話型の集会や議論は確実に増えていて、
例えば今日の写真のように、美術作品一つを鑑賞するにおいても、
お上ごもっともの教養を身につけるのではなく、自分の感性をもって、
感じるところを述べ、対話することで価値を見出していくのです。
絶対価値や絶対正義を信じるのではなく、対話によって見出していく。

古いままの日本の政治では、自民党民主党の二大政党があって、
自民党がダメなら民主党がある、と思っていたわけですが、
その民主党がこけた時に、また元の自民党かと思ってみれば、
この自民党は昔の自民党とは様変わりして、右翼政党になっている。
憲法を改正して天皇主権にし、軍隊を持って世界に対峙する、
国民の生活とはかけ離れた、そんな理念が党の政策になる政党です。
次の選挙で何を選択すればいいのか、また選択肢がありません。

古い政党が期待できないなら、雨後の竹の子のような新党か?
と思って見回しても、どうも日本の政治家は胡散臭い人ばかりで、
この国を任せたいと思う人は、どの政党にも見あたりません。
誰かに任せられないなら、もう少し進んだ政治形態を求めたのが、
新しい直接民主政治であるわけですが、そのために必要なのが、
対話による議論と、既成概念に囚われない価値観だと思うのです。
次の国政選挙までには、間に合いそうもありませんが・・・