人類の明日を悟る

イメージ 1

川口由一さんが指導する自然農の集まりでは、
毎年一度「妙なる畑の会全国実践者の集い」があります。
日本各地の自然農リーダーの処に集まって、勉強会をする。
したがって例年は、自然農が行われている地域が会場ですが、
今年は初めて、現在日本文化の中心地である東京になりました。
いつもの実践者の集いとは、少しおもむきを変えて、
農業手法としての自然農を超え、生き方としての自然農を、
哲学、政治、行政、教育、芸術の方面から考えようとするものです。

初日の22日は、午前中に「自然農 川口由一の世界 1995年の記録」
を上映して、参加者全員で川口さんの自然農がどんなものか確認です。
この日は実践者ばかりではなく、一般の関心をもつ人も大勢来ており、
大ホールが満席の状態で、自然農を紹介する意味合いもあったでしょう。

実はこの映画、僕が見るのは2回目ですが、最初に見た時は眠くなって、
今回初めて全体を見た気がするのは、関心度の深さにもよりそうです。
なにしろ稲一本にまつわる細かな映像など、最初に映画を観た6年前は、
ほとんどどうでもいいくらい、関心を持てなかったのですから。
ただ僕の場合、様々な社会問題や自分の生き方を考える中で、
「問題を起こさない生き方としての自然農」に関心をもったことで、
自分でも自然農の田畑による自給を目指して、実践を始めたのです。
その意味から言えば、今回の集いは僕には待ち望まれたものでした。

午後のシンポジュウムは、「人類の明日を悟る」と題されて、
多彩なゲストが各界から招かれて出席されていました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 山折哲夫(宗教学者
 末松広行(農林水産省大臣官房食料安全保障課長)
 坂井学衆議院議員
 中島恵理(環境省環境教育推進室&民間活動支援室長補佐)
 中田美紀(東京大学大学院農学生命科学研究科助教
 八木真由美(自然農学びの会岡山代表・ライア奏者)
 司会:川口由一(自然農実践者・指導者・赤目自然農塾主宰)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

司会の川口さんは、参加者の自主的な発言を重んじられるし、
自分が話す場合にも、独特の時間感覚で「考える間」を置かれる。
すると「テキパキとテンポの早い」司会を当たり前だと思ってい人には、
その「考える間」が滑稽に思われるのか、失笑が聞こえてきたりする。
だけど常識に惑わされずに、真実を見極めようと耳を澄ますものには、
この「考える間」は、進行に惑わされずに自分で考える役に立ちます。
ゆっくりとしたテンポで、それぞれの人が自分の考えを述べる。
誰が考えたかわからないような一般常識の発言では済まされない、
個々の参加者の本音が次々に吐露される、興味深い内容で進行しました。

最初の2時間を終えて、後半は会場参加者を交えた意見交換です。
山折さんが「自然農は農業も社会も変えられない」と発言されたのを受け、
意欲的な実践参加者からは、まずそのあたりの不満がぶつけられました。
すると山折さんは、自然農は農業として以上に可能性をもっているとして、
現代の価値観にメスを入れる、自然農の思想としての側面を話されます。
あるいは自然農に関心をもちながらも、実践するには経済的な不安を感じ、
踏み出せないでいる若者から、生活出来るのかとの切実な質問もありました。
すると川口さんは「人は自然界の一部として生かされているから大丈夫だ」
とまるで禅問答のようなやりとりもあって、僕には楽しいやりとりでした。

しかし今回はせっかく行政の側からもゲストがあり、坂井さんからの質問で、
農水省として有機農法に支援はいくつもあるのに、自然農にないのは何故か?
と質問され、末松さんは「行政は特定の農法・価値観を支援出来ない」と
答えられたのですが、これは明らかに矛盾した発言だったと言えるでしょう。
現に農水省は相当額の予算をもって、たとえば営農集団や集約農業のような、
拡大経済を目指す農法と農業経営を奨励しているのだから、その時点で、
特定の思想(経済拡大)や農法(集約農業)を推奨していると言えるのです。
せっかくおカネに頼りすぎない自然と調和した人の在り方を求めての自然農が、
大量生産・大量消費を押し進めようとする政策によって疎外されている。
せめてこうした阻害要因がなければ、農業も社会も別な道の選択肢がある。

そんなふうに考え、僕も挙手して出席者に質問ぶつけてみましたら、
末松さんは意外と素直に、否定することなく、自分もそう思うと話されました。
しかも単なる個人的な感想としてだけでなく、この会場には上司も来ており、
普段なかなか声の届かない、こうした実践者の声を聞くことによって、
自分たち行政自体が、変化していく必要があることを自覚されていたのです。
行政者の立場上、形式的なリップサービスの部分もあったかも知れませんが、
彼も優れて優秀なこの国の将来を思う人であれば、本気の部分もあるはずです。
こうして僕らとの対話に、真摯に参加されたことで希望はあるでしょう。

4時間のシンポジュウムは、充実した時間となって終わり、夕食の後は、
八木さんのピアノ演奏に引き続いて、山折さん、八木さん、川口さんによる、
「宗教・芸術・人生の本質と意義を悟る」と題した対談と意見交換がありました。
この内容に関しては、翌日の実践者の集いの中で内容が深められ、
僕もまた意見と質問をさせていただいたので、続きはそちらでお話しします。

朝から目一杯、普段はなかなか話す機会のない、自然農の本質に関わる話を、
びっしりと満喫して、すっかり疲れてはいたのですが、頭は妙に冴えていたので、
この日のプログラムが終わってお風呂に入ったあと、富山の仲間が集まりました。
反省会というわけではないのですが、もう少し話をしたかったのです。
そして消灯時間直前に守衛の人が回ってくるまで、ロビーで話を続けました。
心地よい興奮で、その後もすぐには寝付けませんでしたが、いい一日でした!