自然農と自然農法
今年の春に氷見市では、自然農法の指導員を育成する、
と言う名目で、地域おこし協力隊のメンバーを募集していました。
古民家再生の家が使えて、毎月月給がもらえるうえに、
木村秋則さんの指導も受けられて、もちろん農地も使える。
氷見市の地域おこしの一つとして、自然農法が使われるのです。
と言う名目で、地域おこし協力隊のメンバーを募集していました。
古民家再生の家が使えて、毎月月給がもらえるうえに、
木村秋則さんの指導も受けられて、もちろん農地も使える。
氷見市の地域おこしの一つとして、自然農法が使われるのです。
僕の住む南砺市でも、自然農の考えや実践者は増えていますが、
こうした行政によるサポートはないし、個人で細々とやるだけです。
ちょっとうらやましく思って、アースディ富山で知り合った氷見の人に、
僕ではどうかと聞いてみたら、南砺市の住民では条件的にダメだとか。
地域おこし協力隊は、都市部から地方への移住に限るのだそうです。
こうした行政によるサポートはないし、個人で細々とやるだけです。
ちょっとうらやましく思って、アースディ富山で知り合った氷見の人に、
僕ではどうかと聞いてみたら、南砺市の住民では条件的にダメだとか。
地域おこし協力隊は、都市部から地方への移住に限るのだそうです。
たしかに氷見で自然農法を実践している廣さんは、よく知っているし、
農家の人が自然農法に転換している話も、関わったこともある。
さらには現在の氷見市長が、市民活動出身の人で施策に意欲的であったり、
なにかと話題の多い地域で、面白いこともやっていそうではあるのです。
いよいよ自然農法も、地域おこしの材料になるというわけです。
農家の人が自然農法に転換している話も、関わったこともある。
さらには現在の氷見市長が、市民活動出身の人で施策に意欲的であったり、
なにかと話題の多い地域で、面白いこともやっていそうではあるのです。
いよいよ自然農法も、地域おこしの材料になるというわけです。
残念ながら南砺市では、そのような動きは全くなさそうで、
行政で次々に打ち出される、新しい試みの中に自然農の考えはない。
そんなことを考えながら、あらためて自然農のことを思うとき、
自然農と自然農法とは何が違うのか、という設問が浮かびました。
僕らは自然農をしていますが、氷見では自然農法を普及させるのです。
行政で次々に打ち出される、新しい試みの中に自然農の考えはない。
そんなことを考えながら、あらためて自然農のことを思うとき、
自然農と自然農法とは何が違うのか、という設問が浮かびました。
僕らは自然農をしていますが、氷見では自然農法を普及させるのです。
自然農と自然農法は、同じようではありますが違います。
日本で自然農と言えば、福岡正信さんから始まったものですが、
現在僕らは川口由一さんを通して、生き方そのものを学んでいます。
いわゆる「問題を起こさない生き方としての自然農」であって、
そこから農法だけを取り出したものが、自然農法と言えるかもしれない。
日本で自然農と言えば、福岡正信さんから始まったものですが、
現在僕らは川口由一さんを通して、生き方そのものを学んでいます。
いわゆる「問題を起こさない生き方としての自然農」であって、
そこから農法だけを取り出したものが、自然農法と言えるかもしれない。
「耕さない」「草や虫を敵としない」「農薬や化学肥料に頼らない」
これが自然農のやり方であり、なるべく自然に近づこうとします。
不自然なことはせず質素に暮らすことで、問題を起こさない社会を作る。
ところが農法だけに着目した自然農法では、有機農法と同じで、
化学肥料などは使いませんが、生産性を高めて収穫を増やそうとする。
これが自然農のやり方であり、なるべく自然に近づこうとします。
不自然なことはせず質素に暮らすことで、問題を起こさない社会を作る。
ところが農法だけに着目した自然農法では、有機農法と同じで、
化学肥料などは使いませんが、生産性を高めて収穫を増やそうとする。
食の問題を解決して、問題のない社会作りに寄与するのが自然農法なら、
問題を起こす価値観から脱して、生き方から正そうとするのが自然農です。
実はそこには、「これが正しい」と決まったやりかたはほとんど無い。
僕らは川口さんから直接間接に、「心得」のようなものは聞いていますし、
具体的な農作業も指導されていますが、農法として定まったものはないのです。
問題を起こす価値観から脱して、生き方から正そうとするのが自然農です。
実はそこには、「これが正しい」と決まったやりかたはほとんど無い。
僕らは川口さんから直接間接に、「心得」のようなものは聞いていますし、
具体的な農作業も指導されていますが、農法として定まったものはないのです。
それを知った上で、自分は自然農法だけで良いのかと考えたときに、
もう一歩先で、生き方そのものが関わらざるを得ないのです。
自然農が怪しい宗教集団と間違えられるのも、こうした信念があるためで、
現代の経済カルト社会に溺れないためには、このくらいの信念は必要なのです。
言葉で説明するのは難しいけど、自然農と自然農法は違うものなのです。
もう一歩先で、生き方そのものが関わらざるを得ないのです。
自然農が怪しい宗教集団と間違えられるのも、こうした信念があるためで、
現代の経済カルト社会に溺れないためには、このくらいの信念は必要なのです。
言葉で説明するのは難しいけど、自然農と自然農法は違うものなのです。