自動的に格差を広げる社会

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手元に「データで見る県勢」があって、覗いてみると、
昨年(2017年)の富山県における、一世帯あたり平均収入は、
およそ59万円で、消費支出は33万円となっていました。
県の経済は堅調で、世帯あたり貯蓄は1500万円を超えているし、
有効求人倍率も1.8倍を超えて、個人所得は337万円ある。

しかし最低賃金を見ると、今年ようやく821円となりましたが、
去年は795円で、これを基に計算すると奇妙な数字が出てきます。
わかりやすくするために、自給800円で計算すると、
一日8時間を、月に22日間、12ヶ月間働いたとして
800×8×22×12=1,689,600円にしかなりません。

働き方は自由だと言っても、何か資格や特典でもないと、
コツコツ真面目に働いただけでは、平均所得の半分しか得られない。
しかもこの資格や特典を得るには、それなりの元手が必要で、
この資格を得るための産業が、相当大きな規模に膨らんでいるし、
世の中には、資質的にも経済的にもこれに相当しない人は多いのです。

月に15万円以下の収入で、子育てをしている人にとっては、
夫婦がフルに働いても、やっと平均世帯収入ほどでしかありません。
まして片方がフルで働けなければ、貧困生活を余儀なくされる。
実際にはお金だけで暮らすわけではないので、人生は豊かになれますが、
少なくともお金で見る限りは、この格差は大きいのです。

コツコツ働けば、金銭的にも豊かになれた時代とは違い、
現代では最初から、金銭的優位にある人だけが更なるお金を稼げる。
もちろんどんな時代であっても、人の何倍も努力することで、
のし上がっていく人はいるでしょうが、そんな人はどうしても、
詐欺的行為によってでも、一攫千金を狙おうとするのも必然でしょう。

社会を良くするために、お金を省みずにコツコツと働く人は、
今の過酷な競争社会では、生き延びるだけでも大変なことになる。
よほどの信念があるか、宗教的な世界に逃げ込むかしないなんてのは、
精神的にも落ち着いていられない、実に危うい時代だと言えます。
この時代を乗り越える価値観こそ、何よりも世界中で問われているのですが。