子育てに経済的保証を・・・

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経済的な事情で、子どもを持てないとか、
そんな話を聞くと、何かおかしいと感じてしまう。
日本は経済大国と言われながら、子育てする金もないなんて、
それなら政府が、子育ての人に経済的保証をすればいい。
保育所を探し回って、勤めに出るなんて考えないで、
子育てこそが大切な仕事なのだから、給金をもらえば良い。

現在日本の最低賃金は、全国平均で823円となったので、
例えば1日8時間程度の保証を、週5日で計算すれば、
週に32,000円程度の手当があっても、おかしくはない。
保育園に入れば、その半分は保育園に渡せば良いし、
小中学校の義務教育の間も、半分は学校に渡せば良い。

月額手当が13万円ほどになるので、この半分を学校に渡し、
残り6万5千円が、生活費になると考えれば良いでしょう。
そうすれば、どこの保育園や学校に行くかは親が選べるようになり、
気に入った学校がなければ、自分で教育するという選択肢も出来ます。
こうした考えは、日本では相手にもされませんが、
教育を国家の専任と考えない人は、結構多いと思うのです。

子育てや子どもの教育を、政府や地方自治に任せるのは、
問題のない人はいいでしょうが、そうでない人は困るのです。
学校は特定の価値観を教える場所ですが、そこから外れた子どもや、
つまずいた子どもは、行き場所がなくて困っています。
だけど生活が保障されていれば、自分で育てることもできる。

特定のジェンダー教育なども、受け入れたくなければ、
そうでない教育機関を探せる自由ができるし、学校も真剣に考える。
実際僕の場合なんか、大きな園舎に多くの園児を詰め込むのは、
あまり好きではないので、小さな寺子こども園に入れているのですが、
そうすると保育に対する補助がないので、月々3万円以上掛かる。
そのほかに音楽教室リトミックやらで、月々5万円は掛かるのです。

それでも月々13万円の手当があれば、多くの人に選択肢が増える。
様々な考え方の園や学校で、自由に教育が行われる社会は。
国民全体が一つの価値観に縛られないので、反対する人もいるでしょう。
だけど大きな時代的流れとしても、特定の一つの価値観ではなく、
多様性が重んじられるようになり、それは正しい考え方だと思うのです。

すでにデンマークでは、母親は子どもを預けて働きに出なくても、
生活が成り立つよう、子育ての補助金を大幅に増額する議論をしています。
日本などは少子高齢化が進んで、子どもの出生率は低いままで、
このままでは将来の社会が維持できない、とまで言われているのです。
経済的理由で子どもを持てない、なんて考えなくていいように、
最低賃金に見合った金額を、補助すればいいと考えます。