切り捨てられる認可外保育施設

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先の衆議院選挙で、こんな公約をする政党がありました。

「幼児教育無償化を一気に加速。2020年までに、
 3歳から5歳までのすべての子どもたちの
 幼稚園・保育園の費用を無償化する」

そして野党の自滅によって、自民党は圧勝しますが、
それからわずか2週間で、この約束は反故にされます。
いわゆる認可外保育施設を、無償化から除外する、
という差別化へ、大きく舵を切り直すことになるのです。

出来もしないことを約束して、選挙に勝とうとする、
そうした態度を一番批判した自民党が、自ら犯している。
認可外保育の中には、企業内保育のように資金があったり、
一部の富裕層を狙った、お坊ちゃま保育だってある。
しかし認可外保育利用者の多くは、そうではありません。

認可保育園に落ちて、仕方なく無認可へ行く人もあれば、
公的な認可保育では、地域文化の実情に合わなくて、
やむを得ず無理をして、無認可保育を選ぶ人もいるのです。
我が家の場合も、せっかくの地域文化に参加できない、
食育も不安な統合保育園ではなく、お寺の教えで子育てする、
寺子こども園を選んで、補助のない通園をさせています。

あるいは最初から、アベノ独裁は平気で嘘を言って、
ともかく勝ってしまえば、不都合なことを後からなおす、
と言った態度でいたのかと、勘ぐらざるを得ないでしょう。
ろくでもない政治であっても、最低限のこととして、
子育てや、それに伴う親に対する補助くらいはして欲しい。

子育てをないがしろにすれば、国は亡びるだろうし、
子育てを家族に任せるには、家族が核化しているのだから、
裕福な家でもなければ、人的あるいは経済的負担が出来ない。
昔の教育を復活させたい、と考える保守的な人たちは、
そんな環境ではなくなっていることを、理解していない。
教育を昔に戻せば、環境も戻るかのように勘違いしています。

社会環境を非人間的にして、異を唱える人は切り捨て、
自分たちの都合の良い解釈で、多様性を排除してしまう。
そんな考えだから、認可外保育施設を無償化しないで済まし、
適当な言い訳をして、認可格差を確保したいのです。
アベノ独裁の本音は、格差を不動のものにしたいのかも。