気がかり・・・

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姫を育てるに当たって、習わせたいことが二つあります。
一つは今通っているピアノ教室で、音楽を身につけることで、
もう一つは水泳教室で、泳げるようになって欲しいと思っています。
僕がまだ元気な内に、一緒に平野の海を泳ぎたい気持ちがあるし、
僕が教えようとしても、甘える気持ちがありすぎて難しい。
そしてピアノ教室は、音楽の基本だと考えたからです。

しかしこのところ、ピアノ教室に掛かるお金が増えてきて、
ずっと続けられるのかどうか、怪しくなってきました。
先日はピアノを買うことを勧められ、しかもエレクトーンはダメで、
お勧めの機種や中古品の紹介まで、お世話くださるという話です。
現在我が家では、誰も定収入があるような働きはしていないし、
ピアノを置くスペースもないので、あまりありがたくない。

ヤマハ音楽教室だから、自社の製品を売りたいでしょうが、
もともと僕としては、音楽を楽しむ基礎を養いたいだけで、
微妙な楽器の違いなど、まったく気にしていません。
それをどうこう言われると、音楽に対する興味をそがれるし、
僕のようにお金のないものは、音楽も楽しんではいけないのか?
とひねた気持ちもわいてきて、ちょっといやな気持ちになりました。

保育園そのものも、大量の子どもたちを一つところに入れる、
市の保育園には抵抗があって、小さな寺子保育園に入れています。
だけどこの保育園は、無認可と言うこともあって補助が無く、
結構な金額を、毎月収めなければいけないのが苦しい。
そうして考えてみれば、自分が思うように子育てをしたければ、
それ相応の費用が掛かることを、覚悟しなければならない。

わかっていたことではあるけど、今の僕には重くのしかかり、
お金経済社会の重圧を、感じざる得ない状況があります。
働くことは好きだし、今は労働力不足だと聞いていますから、
どこかに雇用されて、賃金労働をすれば良いことなのでしょう。
わかっているのですが、僕にはそうした働き方には疑問があって、
生き方に合わないような形で、職探しをする気にはなれないのです。

姫と一緒に戯れたり、無邪気にじゃれ合ったりしながら、
この幸せこそが大切だと思えば、未来の環境破壊はしたくない。
グローバルなマネー経済を助長すれば、子どもたちの未来は、
限りなく壊されて、どんな時代になるか心配になるのです。
もちろん生活できないのであれば、そんなことは関係無しに働いて、
家族が暮らせるように、生活の糧を得ようとするでしょう。

だけどなんとか生きていられるし、幸せもたっぷりあって、
これ以上の何かを求めるために、未来を壊すのであれば、
それは人間の欲に対する執着であって、捨てた方がいいと思う。
この境界線をどこに持つのか、難しい選択ではありますが、
だからこそ、自らの生き方が問われるところでもあるでしょう。
僕は迷いながら、身の程にあった暮らしを模索します。