高齢者と公民権

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先日横浜市の通学路で、小学生の列に軽トラックが突っ込み、
小学1年生の男の子が亡くなった事件は、さすがにちょっと怖い。
軽トラックを運転していた容疑者は、87歳と高齢であり、
事故前日から都内を走り回って、今回の事故現場に来ている。
警察の取り調べに対して、「どこを走ったか覚えていない」と答え、
認知症の疑いがあって、検査を要求されているらしいのです。

高齢者の運転は、それでなくても怖い思いをすることがあり、
運転しないで済むものなら、運転して欲しくないと思う。
だけど今の日本では、日常の買い物をするにも車がないと不便で、
高齢者は運転するなとは、言い難いのが実情だと思います。
介護が必要な人も含めて、高齢者はなるべくコンパクトに集合し、
公共交通機関で日常生活がまかなえるような、環境が必要でしょう。

それを高齢者個々人の裁量に任せるのは、無理があるので、
80歳とか90歳とか、一律高齢に達したら公費で世話をする。
その代わりというわけではないけど、公民権も制限して、
一定の年齢に達した高齢者は、各種の免許や選挙権を止める。
例えば85歳としても、選挙権を止めるなんて人権無視だ、
と考えることもできますが、もう卒業して欲しい気もします。

85歳ならその年になるまでに、既に多くの人を育てており、
自らの考え方は、もう育てた人に託してもいいと考えるのです。
育てた人が彼の考えを支持するなら、彼の望む人に投票するとして、
違う人を選ぶとすれば、それは時代の流れとい言うものです。
むしろ新しい人たちによって、次の社会が作られると考えるなら、
なるべく多くのことを、新しい人に譲れば良いと思うのです。

危なっかしい人が、制御できないで車を走らせるように、
政治経済だって団体会社だって、新しい人に任せるべきだと思う。
人生85年も生きて、それなりに社会を作ってきたのであれば、
もうそれ以上の関与は手を引くべきで、できた社会を享受すればいい。
何も死ぬまで頑張る必要は無いので、85歳を人生のゴールとして、
ゴールまで来た人は、分け隔て無く国費で処遇すればいいのです。

しかもこの年齢まで来たら、遺産相続などしなくても子は自立し、
それぞれの暮らしをもっているでしょうから、遺産は国のものとする。
相続できる額に限度を儲けて、それ以上はすべて国に還元し、
国の財源として運用していけば、高齢者予算も潤沢になるでしょう。
そして働いた人から税金で得た収入は、子育てする若い人に充て、
子どもの貧困などが起きない、安心安全な国になって欲しいですね。

相続できる額に制限ができれば、ばかげた収入を得るよりも、
どんな生き方をしたいかが、あらためて問われる時代になるでしょう。
お金さえ稼げばいいような生き方ではなく、人生に何を求めるか、
多くの人が真剣に考えるようになれば、社会の価値観も少しは変わる。
温暖化で地球環境を壊してまで儲けようとか、経済優先のために、
どんなに危険でも原発を稼働させるような、考え方も変わるでしょう。