ポリアモリー

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ふたりの男性を同時に愛する女性を、ポリアモリーと言うそうです。
ギリシャ語の「複数」(poly)と、ラテン語の「愛」(amor)を組み合わせ、
1990年代にできた造語だそうですが、こんなことは昔からありました。
そもそも男と女の関係に、正常と異常があるわけではないのですから、
ふたりの男性を愛する女性が、特別異常だと思う必要も無いのです。

むしろ一人の女性が、一人の男性しか愛せないとすれば寂しいことで、
そちらの方が不自然な感じがするし、実際に作られた感性という感じがする。
歴史的に見ても、封建制度ができる以前の原始的な家族制度を考えると、
母系によって家族を維持したと考える方が、生物として自然に思われます。
奈良平安以前の日本でも、家や財産は女系が守ることが多かったようで、
天皇家や公家や武家だけが、男性中心に家を守っていたと思われます。

いわゆる通い婚が中心で、女たちは男が通ってくる間に家を大きくし、
そこで子どもを産んで育てますが、やがて男の子たちは家を出て行きます。
そして残った女の子が、家を守りながら親を養い子を儲けるので、
結果として女系になるのであって、家系図をありがたがる男系とは違う。
男は好きな女を求めて旅に出て、気に入った女を見つけたところで暮らします。

もともと結構多くの男たちは、そうした気楽な暮らしが好きだと思うのに、
封建制度が始まって以降、男に家を守る役割が回ってきて苦しんでいる。
僕は60歳になるまで結婚しませんでしたが、過去に女性と付き合ったときに、
相手の女性に僕以外の男性がいても、余り気にならなかった記憶があります。
ただ一つ守って欲しかったのは、少なくとも僕と一緒にいるときだけは、
体も心も僕の方を向いていて欲しい、それだけだったし僕もそうしました。

一人の女が一人の男しか愛さないなら、相手に対して独占欲が出て当然で、
他の人に心を移すことが、いわゆる浮気として攻撃材料になるから苦しい。
僕が一緒にいないときであれば、僕のことを忘れて他の人と楽しんでくれた方が、
いつも相手の心配をしていなくていいから、気が楽な感じがしたのです。
通い婚などはちょうどいいのですが、今はもうそんな制度はないですからね。

結婚して離婚して家を妻に渡し、結果として女系家族になっている人も、
経済的負担さえなければ、けっこうさっぱりしているのじゃないかと思う。
僕はいろんな人と付き合ってきて、人生これで十分かな?って思ったところで、
今の妻に出会ったわけですから、それからは妻のために生きている。
これも十分に楽しいのですが、もしももっと若くて余力があるときなら、
心が浮ついたかもしれないわけで、今が僕の結婚適齢期だったのです。