高齢化の次は

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このところ僕の回りでは、毎月のように誰かが亡くなって、
僕も無関係ではなく、この一年で6回のお葬式がありました。
そのうち近所の人が亡くなられたのが、3回あって、
親戚関係で亡くなられたのが、同じく3回ありました。
世の中が高齢化していると言われてから、もう久しくなって、
その高齢者が次々と亡くなるのは、どうしようもないことです。

そして気がつけば、町内単位でも自全体でも人口が減っていますし、
会社や役所で勤めがある人なら、仕事関係の付き合いでも、
先輩諸氏が次々に亡くなり、お葬式が続くことになるのです。
僕自身は仕事勤めがないので、仕事関係のお葬式はないのですが、
それでさえ6回の葬儀がありましたから、勤めのある人は、
文字通り毎月一度ならず、お葬式に出ている人は多いでしょう。

高齢化は嬉しいことで、多くの人が長生きできるようになって、
こんないいことはないのですが、いくら長生きしても人は死にます。
いつまでも生きていたいと思っても、そうはいかないのが人間で、
80代90代になれば、死を覚悟しないわけにはいきません。
しかも現代では、お年寄りに比べて若者に元気がないので、
生まれてくる子どもの数は、亡くなる人の数より少ないのです。

今はまだ元気な80代90代が、次々に亡くなるとき、
僕らの町の人口が、急激に減少していくのは目に見えています。
たぶん今よりも速いペースで、人口の減少が進むでしょうし、
同時に空き家も一気に増えて、かつて経験したことのない問題が、
次々に難題として出てくることは、今から予想できるのです。
そこで新しい時代に、僕らは何を目標にすればいいのか?

そこで考えておくべきことは、僕らは社会にどんな理想を描き、
どこへ向かって進むのかを、明確にしておくことが必須です。
進むべき理想が見えていれば、個々人はそこへ向かって努力できるし、
個人でできないことは地域で協力しあい、その全体を国が調整する。
いつも似たようなことを言うので、イソップ通信の常連の人は、
また同じことを・・・と思うでしょうが、致し方ありません。

少しでも多くの人が、自由に自分の思いを実現できるように、
そのためのノウハウを、いわゆる教養を身につけることで、
社会全体の幸福度を増していける、と僕は考えているのです。
学校教育はそのために、経済を豊かにする技術を教えると同時に、
経済だけではない人間の魅力も、同時に教えることで、
バランスの取れた人を育て、社会を育てて欲しいと思います。

例えば今では多くの人が、農的な暮らしに関心をもって、
できることなら、自給率を上げながら暮らしたいと思っている。
僕らの自然農が、なぜ問題を起こさない生き方と考えられるのかは、
化学薬品の使いすぎや、機械依存が大きすぎると思ったときに、
それではどの程度が人間に最適なのか、考える縁として、
なるべく自然をそのままに食料を得ることが、基本だと思うからです