男の限界?

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完全母乳育児をしていると、男はどうしたって、
おっぱいが無いのだから、惨めな気持ちになる時があります。
赤ん坊がむずかるような時には、なんとかあやして、
泣きやむようにしたいと思っても、どうしてもダメな時は、
お腹が空いた時で、おっぱいがあれば泣きやんでくれる。
つまり男ではどうしてもダメで、母親が必要なのです。

もともと子供が産めるのは、女だけなのだから、
おっぱいだって女だけのもので、男には望むべくもない。
しかしながら普段の生活で、子どもに接している時は、
そんなことは忘れて、せっせと赤ん坊の世話をしているのです。
ところがここぞと言う時は、やっぱりおっぱいが必要で、
こんな時はついつい、ミルクが使えたら!と思ってしまう。

昔「女がいなけりゃ世も末よ♪」、なんて歌詞があって、
男社会なんて、形式ばかりだとは思っていましたが、
こうして子育てで無力を味わうと、やっぱり落ち込みます。
夜中に赤ん坊が大泣きして、母親が対応してくれない時、
つい手を出して抱き上げ、あやしたりするのですが、
けっきょくおっぱいが無いと、どうにもならないのです。

母親が風邪を引いていても、疲れて寝ているときも、
赤ん坊は関係なく泣き出して、おっぱいを求めますから、
男はせいぜい時間稼ぎで、あとは母親にお願いするしかない。
「すいませんが、おっぱいください」と頼み込んで、
赤ん坊をおっぱいに預ける、それしかできない。
自分はやくにたたないってことを、強く感じるのです。

社会は男女平等の共同参画を目指しますが、私生活では、
これほど明確に男女の役割が別れていることも、珍しいでしょう。
出産は無理でも、子育てくらい同じようにできるかと思いきや、
男にはおっぱいが無いから、母乳育児はできないのです。
そうかと言って、ミルクにはしたくないのだから、
これはもう最初からギブアップで、争う余地もありません。

男にできることは、なるべく母子が元気でいられるように、
母子のストレスを溜めないように、世話をすることでしかない。
そう諦めてしまえば、少しは何か自分にも役割があるかと、
考えてみれば昔の男性は、子育てをしないと言うよりも、
子育てから疎外されてきた、長い歴史があったのでしょう。
だって昔は、すべて完全に母乳育児だったわけですからね・・・

おっぱいの力、恐るべしです!