せつない人生の始まり

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生まれて2週間を過ぎた頃から、母娘の確執?が始まりました。
母乳保育を続けていると、赤ん坊はいつも母親べったりで、
およそ2~3時間に一度は、母親は母乳を求められて授乳します。
これが昼も夜も続いて、しかも授乳は結構痛みを伴うようですから、
母親は時々赤ん坊に待ったを掛けて、少しおっぱいを休ませたい。
ところが赤ん坊は、お腹が空くと泣いて求めるしかないのです。

僕はたいがい何でも引き受けて、手伝ってはいるのですが、
おっぱい授乳だけは、どうあがいても母親にしか出来ないのです。
そこで恐る恐る赤ん坊と一緒になって、おっぱいをねだるのですが、
あまり無理を言っては、母親がかわいそうにも思うものですから、
母親のご機嫌斜めの時は、赤ん坊をあやしながら待つのです。
大きな声で泣く赤ん坊を、あの手この手であやしてみますが、
疲れて静かになる時もあれば、全身であばれる時もある。

母親しか頼れない赤ん坊と、赤ん坊がかわいくて仕方ない母親が、
ときにはお互いが譲れなくて、冷たくしたり泣きわめいたり、
そんな母娘を見ていると、10年後20年後の母娘喧嘩を思うのです。
お互いに愛しているのに、些細なことで角をつき合わせてしまう、
人生の切なさが、すでにここから始まっているかのように思うのです。
思うようにいかないことばかりで、だけど愛し合っている人たちの、
難しい人生の縮図が、こんな所から始まっていたんですね。

僕はひとり蚊帳の外で、なるべくふたりに仲良くして欲しいから、
赤ん坊をあやしたり、母親をなだめたりしているのですが、
気がつけば母親は、まるで言葉がわかる人に話すように赤子を諭し、
赤ん坊も聞き分けよくおとなしくして、再びおっぱいにありつきます。
めでたしめでたしと思いながら、いつまでもこうあって欲しいなあ、
どんなに喧嘩しても、すぐに忘れて仲直りできる親子であって欲しい、
そんなことを思いながら、そっとふたりの遣り取りを見ています。

男の子と母親の関係は、もう少し違ったもののような気がしますが、
女の子と母親は、最初から友達同士みたいな感じがしています。
少しずつ豊かになる赤ん坊の表情を、見ているのは楽しくて、
こうして子育てに携われる喜びに、感謝せずにはいられませんが、
現代日本の男たちは、なかなかこの喜びを味わうことが出来ません。
出来れば男たちも、もっと日々の命に向き合って欲しい気がします。