謝罪する理由

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以前に読んだ本「みんなが幸せになる ホ・オポノポノ」は、
とても共感するところが多くて、このブログでも紹介しました。
「あらゆる問題はすべて自分の内側にある」との考え方で、
外側から植え付けられた記憶を、クリーニングして、
内側にあるインスピレーションと繋がることで、自らを正す。
そうすれば、あらゆる問題現象はなくなるというものです。

クリーニングの具体的な方法として、4つの言葉があり、
「ごめんなさい 許して下さい ありがとうございます 愛しています」
と毎日唱え、考えることで、自分を正していけるというのですが・・・
これを読んだ当時、なんとなく疑問に思って引っかかったのが、
どうして何も悪いことをしていないのに、わざわざ謝って、
許しを請わなければならないのか?ってことだったと思います。

感謝を表す言葉としての「ありがとうございます」や、
自分の意思表示としての「愛しています」はよくわかるのですが、
何も悪いことをしていないのに、なぜ謝るのかわからない。
日本人は誰かに何かしてもらうときでさえ、「すいません」とか、
「ごめんなさい」とか言うのでも、不思議に思っていたので、
さらに日常的に“謝罪し”“許しを請う”理由がわからなかったのです。

ところが、その記事を書いてから14ヶ月が過ぎた最近になって、
なぜかすっかり、謝罪の意味がわかるようになっている自分がいる。
何も悪事を働こうとしたわけでなくても、ただ生きているだけで、
どこかの誰かに迷惑を掛けていたり、問題を起こしていたりする自分。
だからこそ、「問題を起こさない生き方」を求めるわけですが、
このクリーニングには、それと同じ意味合いがあったのです。

しかし漠然と謝っているだけでは、やっぱり無自覚すぎるので、
自分が何を謝っているのかを、自ら考えるところに意味があります。
人から言われたことを鵜呑みにするのではなく、何を謝罪すかは、
自分で考えて、《かならず》謝罪することに意味があるのです。
しかもご丁寧に、「ごめんなさい」だけではなく「許してください」と、
迷惑を掛けている相手に、許しを請う具体的な行為が付いています。

誰かに対して良かれと思った行為でも、かならず負の側面がある。
だけど人は生きていく以上、何もしないではいられないので、
ときには大切な人を愛するが故に、傷つけたりもするのですが、
謝罪し、許しを請い、感謝して、行為をするしかないのでしょう。
僕らが生きるとは、日々この繰り返しをすることであり、
百年の単位でも千年の単位でも、この繰り返しでしかないのです。

僕らはこの繰り返しの中に、命の味わいを得るのであり、
経済成長などで、思い上がって盲目になることなく、
常に循環する母体を壊さないことが、何よりも大切なのです。
そのためにこそ、繰り返し感謝し、行為し、謝罪し、許しを請うて、
人としての基本的な在り方を、見失わない必要があるのでしょう。