すみません
「すみません」という言葉は、あまりにも無意識に、
実に頻繁に使うので、深く考えたことはなかったのですが、
これを中国メディアが、魔法の言葉として取り上げています。
なんとなくわからないでもないので、記事を読んでみたら、
榎本博明氏の著書「『すみません』の国」からの引用があって、
すみませんには、謝罪とありがとうの2つの意味があり、
日常的に良く使われる言葉だと説明されています。
実に頻繁に使うので、深く考えたことはなかったのですが、
これを中国メディアが、魔法の言葉として取り上げています。
なんとなくわからないでもないので、記事を読んでみたら、
榎本博明氏の著書「『すみません』の国」からの引用があって、
すみませんには、謝罪とありがとうの2つの意味があり、
日常的に良く使われる言葉だと説明されています。
それだけなら、魔法の言葉と言う程のことはありませんが、
やはり使われ方が、日本人以外には不思議に感じるのでしょう。
誰かに声を掛けるときや、ちょっとした用事のときにも、
僕らはすぐに「すみません」と言いますが、謝罪とか感謝とか、
それほど明確な意味を持って、声を掛けているのではない。
だけどこの一言がないと、会話が始まらなかったりするから、
あまりにもなにげなく、「すいません」と言ってしまう。
中国新聞網の記事によると、日本人特有の本音と建て前で、
本音では相手に苦情がある場合でも、立前では相手を尊重して、
「すみません」と前置きすることで、相手も和らぐと言うのです。
多くの会話で、もしも「すみません」と言わずに切り出せば、
合理的な内容のやりとりにはなるでしょうが、角が立ちやすい。
本音では怒っていても、一言「すいません」と言ってから話せば、
相手も自分が尊重されていると感じて、話が和らぐのです。
こうした言葉文化は、日本語文化以外では見あたらないので、
“魔法の言葉”と言う表現になったのでしょうが、なるほどと思う。
子どもの頃に林家三平が、「安くてどうも、すいません!」
と言っていたのを、今でもはっきりと覚えていますが、
あの人はどんな場面でも、上手に「すいません」を連発していた。
今思えば、魔法の言葉を上手に使って人の心を取り込んだのでしょう。
言葉を極める落語家の真骨頂が、しっかりあったのだと思います。
最近は明確に謝罪の「すみません」でさえ、言葉が活きていないで、
謝ればいい・・・みたいな、後付の使われ方が増えています。
特に不祥事をおこした人たちの、追いつめられた「すみません」は、
頭に付ける「すみません」とはまったく違う、責任逃れが多く、
原発事故などで次々に出る「すみません」の言葉は、実に見苦しい。
同じ二重構造でも、片方で謝っておきながら嘘をつき続けるのは、
本来の日本文化とは相容れない、新しい何かなのだと感じます。