ゆれる草花
このところ様々な人から、多様な活動のお誘いがあります。
役職に繋がったメンバーとしての、出席依頼などもありますが、
そうじゃないところで、映画に関する集まりとか、
環境保護活動に関する集まりや、農関係に関するお誘い。
中には政治活動に関するものもありますが、それは今年の秋に、
南砺市で市長や市議会議員の、改選があるからでしょうか。
役職に繋がったメンバーとしての、出席依頼などもありますが、
そうじゃないところで、映画に関する集まりとか、
環境保護活動に関する集まりや、農関係に関するお誘い。
中には政治活動に関するものもありますが、それは今年の秋に、
南砺市で市長や市議会議員の、改選があるからでしょうか。
僕は政治に関心はあっても、政治家には感心がないので、
様々な人が入れ替わり訪れて、話していかれることを聞くだけです。
中には行政の中枢にいた人が、出来レースで団体職員になる、
昔で言うところの天下りを批判する人が、僕の所へ来て、
こんなことを許してはいけない、と息巻いて行かれたりする。
実情はそんな話ばかりで、ウンザリしているのですが・・・
僕が預かっている職場には、どちらも美しい草花があって、
気分がモヤモヤしたときには、その草花を眺めて憂さを晴らします。
特に園芸植物園の温室には、冬でも多くの花が咲いているので、
自分だけで見ているのが、もったいない気がしてしまう。
この季節だからこそ、野山には雪があって花が少ないから、
もっと多くの人に来てもらって、花を見て欲しい気がします。
だけどなかなか自由に活動できないし、役職仕事が多いので、
やっぱり自分は役職に就かずに、思うままに活動をしていたい。
僕にとっての市民活動は、もともと自由の延長線上にあり、
真実を知りたいから、ドキュメンタリー映画だって見たいのです。
そうして知った真実に沿って、自分の生き方を考えるから、
効率の悪い自然農を、自分の生き方の柱にもしています。
あまりにもえげつない欲得の話を聞くと、下世話なことと感じ、
関わりたくないと思いますが、放っておけば蔓延してしまうのです。
だから時々は、同じように憤りを持つ人と話をしたりして、
自分の感覚が麻痺しないように、手入れもしているのですが。
多勢に無勢で無力感を感じるとき、あらためて草花を見に行くと、
自然に、質素に、幸せに、と言った感覚を、思い出すのです。
温室の中は風がないので、草花もゆれることはないのですが、
時々フッとそんな花の一輪が、僅かにゆれるのを感じます。
温室を暖めるボイラーの風か、僕の大きなため息か、
あるいは偉大ないのちの世界からの、エールなのかとも思う。
お金はなるべく少ない方が、豊かなのだと言うことを、
僕は自らの人生の中で、繰り返し学んできたのですから・・・