2010年→2011年への流れ
今年もあと4日になりましたが、振り返ってみると、
この一年にも、また数多くの社会的変動がありました。
一つはコチャバンバ合意のような、脱アメリカ型モデルの提案で、
もう一つはウィキリークスのような、内部告発による情報公開です。
この一年にも、また数多くの社会的変動がありました。
一つはコチャバンバ合意のような、脱アメリカ型モデルの提案で、
もう一つはウィキリークスのような、内部告発による情報公開です。
日本ではなかなか、脱アメリカ型モデルの提案は少ないのですが、
それでも尖閣列島事件での、映像情報の流出はこの流れの一端です。
これらはいずれも、新しい市民の力を示すものであって、
どんな時代にも、こうした脱既成価値観の提案はあるものですが、
今回は政府やマスコミの行き詰まりを、情報公開で検証する流れです。
例えば今年も、世界中で数多くの国際会議がありましたが、
ほとんどの会議は実質的な成果を出せず、問題を先送りしました。
その理由は、アメリカ型の成長経済が現実味を失った中で、
次に目指すべきモデルが見えてこないことにあると言えますが、
具体的な解決策として、コチャバンバ合意などが出てきたのです。
日本もいつまでも借金を増やさずに、もう脱成長を図る時期でしょう。
僕個人としても、今年はいくつかの大きな変化があって、
活動をなるべく住居地に近づけ、南砺市との関わりが増えました。
ちょうど来年は町内会の班長でもあり、流れは来年も変わらず、
僕にとっては不慣れな試みが、増えてくるものと思われます。
付き合う人の様子も、一年前とはかなり変わってきて、
同じ南砺市の人が多くなり、南砺市で顔を出す会議も増えました。
まだまだ「おカネの問題」や「持続可能社会」を討論はできませんが、
人の繋がりの中で、何が問題の本質かを検討し続けるしかなく、
これからも多くの場所へ出掛けていくことになるでしょう。
グローバルに考えて、ローカルに行動する!とは、
以前から言われ続けていることですが、これが結構難しい。
なるべくおカネに頼りすぎない暮らしというのも、人の繋がりで、
繋がる人がおカネを必要としていれば、どうすべきなのか?
世界も個人も巨大な壁に面しているかのようですが、だとしても、
僕らは命ある限りを精一杯生きる以外に、何も出来ないのです。
周囲の人から、非常識だと思われることがあっても、
ほかに選ぶ選択肢がないときに、どのように克服するのか?
来年の課題は、身近な人々との関係にあるからこそ難しそうで、
良くも悪くも、人生の集大成に近づいているのかも知れません。
ここでコチャバンバ合意が取り纏められました。