「私のゲーテ」

イメージ 1
 
ほぼ20年前に出版された、小塩節さんの「私のゲーテ」ですが、
先月改訂新版が出たのを機に、手にとって読んでみました。
ゲーテに関しては、学生の頃に傾倒していたことはあっても、
その後は読む機会がなく、「ファウスト」は本棚に眠っています。
それでも、当時なぜゲーテを好きになったのか、思い返してみれば、
真実を凝縮したような、多くの詩に惹かれたからだとわかります。

人生を掛けたような恋の詩や、恋することを讃えた詩などは、
今読み返してみても、みごとに真実を言い当てているとわかる。
さらにこの本では、実際にゲーテが何度となく恋をして、
あるいは生涯に何人もの女性を愛し、それぞれの気持ちを表現して、
人生に大きな意味を見出しているようにも、感じられたりする。
そうしたゲーテの人生観が、説明ではなく伝わってきました。

どこからわたしたちは生まれたのでしょうか。
 ーー愛から。

どんなとき身の没落があるのでしょう。
 ーー愛がなければ。

なにが自己克服の助けとなりましょう。
 ーー愛が。

こんな風に、格言的に愛を讃える言葉がたくさんあって、
それが詩になって表されるとき、また別の輝きを持つ。
「猟人の夕べの歌」では、次のように表現されます。

~~~~~~~~~~~~~~~
 憤懣身のおくところを知らず
 かくも激しく世をかけめぐる
 そのもとはーー
 あなたとの別れ

 だがあなただけをひたすら思えば
 月を仰ぐかのよう
 どうしてなのか
 静かな平和が おとずれてくる
~~~~~~~~~~~~~~~

愛する人たちに次々に先立たれて、82歳まで生きたゲーテですが、
そうでなくても、彼は若いときから孤独を背負って生きています。
それ故に恋はゲーテをなぐさめて、多くの詩を残したのでしょうが、
彼はすぐに恋に落ちる人だったようで、何度かは問題も起こしている。
それでも圧倒的に、彼の書いた作品に色濃くあるのは、
「神は死んだ」とする脱信仰世界において、人間の自立を唱え、
ルネッサンスの人間賛歌が、一つの頂点を迎えた時代の人なのです。

著者はこの本の中で、「ファウスト」をゲーテの人生にダブらせ、
一人の少女との出会いや、罪や、許しを得る姿を解説します。
ゲーテは50代にして、かなり年下の女性と結婚していますが、
この本を読んでいると、それも一つの必然として理解できてしまう。
ゲーテにとって女性を愛することは、ほとんど神を愛することに等しく、
神聖であることの前には、年齢など関係なくなっていたのでしょう。

20年前の本は、少しも色あせることなく読むことが出来て、
あらためてゲーテの詩と人生を思いながら、自らを振り返ります。
僕はゲーテのように偉業は残せないけど、同じように女性を愛して、
世界に愛が満ちることを望みながら、生きていたいと思うのです。
久しぶりにゲーテの詩と生き方に接し、嬉しくなれた本でした。
 
 
小塩節さんの「私のゲーテ」は、↓こちらにあります。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4790602850?ie=UTF8&tag=isobehon-22