「 2012 」

イメージ 1

2時間半の長編にもかかわらず、その大半が最後の数日を描いて、
息をのむ映像が次々と展開する、技術の粋を集めたような映画でした。
これはただ物語を知っていても味わえない、大スクリーンの魅力なので、
なるべくスクリーンの大きい、音響のいい映画館で見ていただきたい、
テーマパークも真っ青の、スケールの大きなエンターテイメントなのです。

科学者たちは、何年も前からこうした事態になることを知っていますが、
この事態から逃れる手段はないので、政治家は人々のパニックを恐れ、
秘密裏に一部の人々を生き延びさせることで、人類救済の道を探ります。
それがこの作品の原題でもある「2012:DOOMSDAY」なのです。
世界中の国々が資金と頭脳を結集して、ヒマラヤ山中に基地を作り、
そこにこの地球的難を逃れるためのDOOM(方舟)を建設する。

このDOOMへ避難しなければならない日は、予定より急速に早まって、
ある日突然、世界中に一気にその現象が現れてからのわずか三日間に、
人々は何を考え、どう行動するのかを描いた映画だと言ってもいいでしょう。
その意味では、この映画は単なるアクション映画ではなく、人間性が深い。
チベットの科学者と仏僧の家族、DOOMプロジェクトを進めた科学者の父子、
大統領と娘、そしてドラマの主人公となる作家と彼の元妻の家族たちなどが、
突然の危機に瀕し、何を大切に行動するかが描かれた映画でもあるのです。

圧倒的な映像によって、我を忘れる壮大な世界に観客を引き込みながら、
実はここに描かれていたのは、人間性とは何か?との問いかけだったこと。
それに気付くとき、やっぱりこの監督ローランド・エメリッヒは凄い!と思う。
人間が思い描く世界の大きさと、求めるものの“あたりまえの深さ”を思う。
生きるか死ぬかのギリギリのパニックにあって、誰だって自分は生き延びたい!
だけど愛する者がそこにいるとき、人は自分を忘れても相手を救おうとする。

こうしたドラマは決して作り事ではなく、人間性を深く追求すればこそ、
生きるとは何かを真剣に考えた結果として、必然的に出てくるドラマなのです。
だからこそ多くの見る人の心を打つし、パニックシーンも活きてくるのです。
このドラマの主人公が、売れない作家であることも偶然ではないのであり、
彼の信念こそが、重要な鍵を握る人物に影響を与え、何かが伝わっていきます。
ルールを守らない人も、選民とはなれなかった人も、土壇場で救われるのは、
「誰でも生きるために闘う権利がある」とする人間理解だったのです。

この映画では、一度も銃の発砲はありませんし、テロリストも出てきません。
それでも人々は戦い、生き延びるために必死の選択と努力を続けている。
前代未聞のスペクタクルも、こうした人間性の問いかけの前では脇役です。
この映画は、マヤ歴のサイクルが2012年で一旦終わることから着想を得て、
その年を一つの終末と考え、DOOM(方舟)によって乗り越える話ですが、
僕は9年前に、洪水ではなく環境悪化から逃れるDoomの話を書きました。

書いた物語「BioDome702」は、既に潰れてしまった出版社から本として出版し、
今でもアマゾンでは扱われているようなので、表紙だけでもご覧ください。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4797420219?ie=UTF8&tag=isobehon-22
スケールはまったく違いますが、僕もこの本の中で、生きるとは何か!問い、
実はその帰結として、問題を起こさない生き方としての自然農を始めたのです。

2012年までに、僕らは何が出来るのだろうか?
それは常に今、自分に何が出来るかを問うことであり、
自らの“生き方”が問われているのだと思うのです。

2012年に、こうした終末が来ようが来まいが、
僕らは命あるものとして、必ずいつか滅びます。
そのときまで、どう生きるかが命なのだと思います。