「未来を生きる君たちへ」

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今年のノーベル平和賞は、イラクの人権活動家ナディア・ムラドさんと、
コンゴ民主共和国のドニ・ムクウェゲ医師、と決まったようです。
この二人はそれぞれ共に、女性の性的被害を救う活動をしてきており、
今年の平和賞は、特に女性の性被害を意識した選出になりました。
それにしても戦時下における女性性の蹂躙は、過去長い間現実であって、
一つの兵器と言われるほどに、相手を破壊する威力を持ちます。

そしてこのノーベル賞が、デンマークにおいて選ばれることを思うとき、
思い出すのがこの映画、「未来を生きる君たちへ」だったのです。
今回この映画をレンタルで見ましたが、過去にも一度見ているのに、
映画がだいぶ進むまで、気がつかないほど忘れていました。
2010年に発表された作品なので、すでに僕はブログを書いており、
記事がないと言うことは、あまり印象深くなかったのでしょう。

アフリカの難民キャンプで活動する、医師のアントンを軸にして、
暴力では何も解決しないことを、難民キャンプとデンマークの対比で描く。
家族のいるデンマークでは、息子のエリアスがいじめられており、
暴力には暴力が必要だと考えるクリスチャンが、彼に復習を持ちかける。
だけどアフリカで、日常的に暴力が振るわれるのを見ている父のアントンは、
叩かれても殴られても、暴力による反撃はしないことで対峙するのです。

何人もの妊娠女性に、お腹を切り裂く暴力を振るったビッグマンは、
やがて怪我をしたときに、大勢の人からリンチを受けて死ぬ。
エリアスへのいじめは、クリスチャンの復讐によって止まったので、
同じように暴力的にアントンを威嚇する男の車を、爆破しようとします。
けれど爆破計画はうまくいかずに、逆にエリアスが怪我をしてしまい、
彼が死んだと思ったクリスチャンは、ビルの屋上から飛び降りようとする。

間一髪で助けられたクリスチャンは、エリアスが無事だと知って、
安堵すると共に、自分が間違っていたことに気付くのです。
やって良いことといけないこと、人間は間違いを犯しますが、
それはいくら責めても、何の解決にもならないと言うことがわかる。
許されざる暴力をなくすことは出来ないとしても、復讐するのではなく、
許すこと、許し合うことによってしか、未来は開かれないってこと。

ナディア・ムラドさんは、あまりにも悲しい暴力の犠牲者ですが、
暴力を犯した相手に対する処罰を求めるのではなく、ただ仲間を助けたい。
屈辱的な被害者であるからこそ、それを泣き寝入りするのではなく、
多くの人に現状を訴えて知ってもらい、加害者に反省を促しているのです。
人間は罪を犯すものですが、それに復讐しても先へ進めないとすれば、
事実を明らかにした上で、誰が正しいかを多くの人に考えさせるしかない。

映画のテーマが重いので、楽しんでみることは難しいとしても、
この深刻なテーマを深刻なままに、人々に晒してみせる価値は大きい。
映画には確かに、こうした重いテーマを扱うものも多いのですが、
一般的にこうしたテーマは、ドキュメンタリーになりがちです。
しかしこの映画は、しっかりエンタティメントの要素を持ちながら、
重いテーマをぶれることなく示している点で、優れた作品だと思います。