「四つのいのち」

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第63回カンヌ映画祭の監督週間で、最優秀ヨーロッパ映画賞を受賞した、
ミケランジェロ・フランマルティーノ監督の、「四つのいのち」を見ました。
まず印象的だったのは、セリフやナレーションがまったくない作品で、
なにげない毎日の暮らしの様子が、淡々と映し出されている新鮮さです。
人間の言葉が全くないことで、余計な価値観なしに映画を見ることが出来る。

撮影された場所は、カラブリア地方というイタリア半島の爪先部分で、
北部イタリアの洗練された工業産業地帯と違い、昔ながらの生活が息づく、
質素で素朴な、まさしく自然に近しい生活を続けている山深い小さな集落です。
ここでヤギの放牧を続けている老人が、やがて力尽きて死んでいくとき、
新しいヤギの命が生まれて、家畜として育てられていくのですが、
あるとき山へ放牧に行く途中で窪地に嵌り、仲間とはぐれてしまいます。

子ヤギが身を寄せた大木の樹が、やがて季節が巡って村の祭りの木に選ばれ、
切り倒されると、大勢の若者によって村に引き運ばれて立てられる。
祭りが終わると炭焼き職人に引き取られ、炭焼き釜の中心に据えられて、
火力を高める大切な木材になって、自らの生涯を終えていくようです。
こうした一連の流れが、何の説明も無しにスクリーンに映し出される映画です。

ヨーロッパ経済危機の真っ只中にあって、貧しい地域とされるカラブリアですが、
人々の暮らしは百年前と変わるどころか、千年前とも変わるようすがなく、
貨幣経済の危機とはまったく無関係に、淡々と営まれていく様子が描かれる。
そこに登場する四つの命とは、人間と、ヤギと、木と、炭なのでしょうが、
それらは別々のものであるよりも、むしろずっと繋がって一つであるかのように、
映画は何区別なく、すべてをいのちの営みの一部として映し出すのです。

スローライフとかオーガニックとか、新しい価値観を提唱してきたイタリアで、
経済成長による豊かさとは全く違う、いのちの営みによる日々の暮らしを描いて、
何一つ説明しないところが、この映画の非凡なすばらしさなのでしょう。
時代に取り残されたような暮らしの中に、“懐かしい未来”の一つの姿を見せて、
これから僕らは何を目指し、どのように生きるかを考えさせる作品でした。