ありがたくも幸せな貧乏暮らし!

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(虫食いのキャベツ白菜と、小豆収穫中に腕に止まったトンボ)

12歳までは親のもので、24歳までは学生で、
36歳までを旅に費やし、48歳まではサラリーマン。
仕事を辞めて60歳までは、市民活動を続けており、
ちょうど還暦で、家庭(妻子)持ちになりました。
現在は僕と妻と娘で、三世代同居の核家族です。

ある程度お金に潤った生活も、貧乏暮らしも経験して、
多少の社会的地位も、得ていたことだってある。
そしてずっと、人間とは何か?と考え続けてきて、
様々な人と付き合い、社会を動かす人とも親しくした。
だけど僕の立ち位置は、変らなかった気がします。

60年以上にわたって、納得できないことはやらない、
迷ったことはやってみる、だけど執着はしなかった。
そして高齢者となった今、自分の人生を振り返りながら、
あらためて、人間とは何か?と思い続けていると、
ぼんやりとながら、何か”答え”のようなものが見える。

コリン・ウイルソン、胡蘭成、イヴァン・イリイチ
こうした人たちの世界とは、活字を通して繋がって、
その世界の奥に見える、果てしない希望も垣間見ました。
そして映画によっても、多くの未知と遭遇してきた。

総じて僕はお金には縁がなく、やりたいことをやって、
今まで無事に生きてきたことに、感謝するしかありません。
精神的に辛いことはたくさん経験して、神とも対話した。
肉体的に苦しいことは、どっこい生きていることで、
すべては御破算で、今も元気に生き続けているのです。

この世界に生を受けて、まずは親の庇護の下で育ち、
長じては社会に出て、さらに多くのことを学んできた。
だけど自分の中にある核は見失わずに、常識を疑い、
イヤだと思うことは拒否して、我が儘に生きてきましたが、
たぶんあと何年かで、それも終わることになるでしょう。

なんて素晴らしい、数多くの恋もしてきたけど、
その一つ一つに命の震えがあって、私を豊かにした。
異文化の国々では、非常識と常識の曖昧な関係を知り、
何を大切に生きるべきかを、何度も再確認してしまった。
そんなすべてが、生きている限りありがたいと知る。

名誉に執着すれば、名誉に縛られるでしょうし、
お金に執着すれば、やがてお金に縛られてしまう。
「放下」するとは、何も無くそうとすることでさえなく、
今あることに感謝して、何かを捨てることさえしない、
生きていることは、どこまでもありがたいことだと知る。