生活を楽しむ
姫はなぜかスリッパが好きで、僕の大きなスリッパを、
小さな足で履きながら、どこへでも行こうとします。
たしかに冬は寒いし、板のフロアでは冷たいですから、
姫用に小さなスリッパを用意したいけど、いいのがない。
と思っていたら、妻が図書館で借りてきた本を見て、
姫に合ったかわいいスリッパを、手作りしてくれました。
小さな足で履きながら、どこへでも行こうとします。
たしかに冬は寒いし、板のフロアでは冷たいですから、
姫用に小さなスリッパを用意したいけど、いいのがない。
と思っていたら、妻が図書館で借りてきた本を見て、
姫に合ったかわいいスリッパを、手作りしてくれました。
ぼくの妻は器用ではないけど、いろいろ挑戦して、
写真で手に持っている手鞠も、本を見て作ったものです。
実は冬用の帽子も、うまく作ってくれたのがあるし、
僕の冬帽子にも、妻の手作りが一つあります。
作ってくれたものの中には、パソコン用の手袋のように、
結局使わないものもありますが、基本的に嬉しいです。
我が家は貧乏なこともあって、買い物に行っても、
姫が欲しがるものを買うことは、滅多にありません。
ただ必要があって買い物に行けば、姫の好みを聞いて、
僕が首をかしげるものでも、買うことはありますが、
その場で欲しがっても、長続きしないものは買わないし、
ときには強制執行で、抱きかかえてその場を離れます。
妻もわかっているし、売っているものよりは、
手作りしたいと思うようで、けっこう頑張ります。
独身のときは、あまりやったこともなかったようですが、
せっせと型紙を作って、姫の小さなスリッパを作り、
世界に一つだけの手鞠を作って、姫を喜ばせる。
僕はまあ、その時間を文句言わずに待つだけです。
こうした時間は、ちっとも合理的ではないし、
お金で買っても安いので、無駄な時間にも見える。
だけどこの手間暇が、実は生きることの楽しみなので、
一見無駄に見えても、わかってくると喜びなのです。
考えてみれば僕の自然農も、やたら手間暇が掛かって、
米なんか自分で作るより、買った方が原価は安い。
例えば僕の七種ブレンド古代米も、値段が高いのは、
それなりの手間暇を味わっていただく、値段なのです。
ただ優れた米が欲しい人は、お店で買えばいいし、
この手間暇を米で味わいたい人だけに、お譲りしている。
いわば手間暇の贅沢が、この古代米にはこめられて、
それを味わっていただける人にだけ、適正価格なのです。
願わくばすべての人が、自らの食べ物や生活用品を、
少しでも多く手作りで自給して、不足するものは、
家族や隣近所で融通しあえば、災害にだって強くなる。
昔の人はそうやって、助け合いながら暮らしていたから、
どんなに不便でも、強く生きることができたのです。
僕らは未来に向けて、どんな暮らしを目指すのでしょう。
昔大阪万博があったときに、そのキャッチコピーで、
「人類の進歩と調和」と謳われたのを、覚えていますが、
はたして「進歩」と「何」を、調和させるのでしょう。
深く考えれば考えるほど、これは謎めいた言葉で、
何か大切なものを見失った、現代文明に対してさえ、
大きな警告であるように、思えてならないのです。