自民党と民主党の違い

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南砺市議会が、なぜ協働のまちづくり条例を拒もうとするのか?
聞くところでは、議会の圧倒的多数派である自民クラブが、
自民党の政策パンフレット「チョット待て!“自治基本条例”」を盾に、
議会の否定に繋がるからダメだ!と言う話は、先日記事に書きました。
そこで改めて、自民党のサイトにあるこのパンフレットを見て、
どういうことなのか読んでいましたら、思わぬことがわかりました。

皆さん、自民党民主党の違いって、何だかご存知でしたでしょうか?
僕は民主党のことを、第二自民党くらいにしか思っていなくて、
自民党内の権力闘争から外れたものが、民主党になったのだろう、
くらいに考えていたら、そうではない大きな思想的違いがあったのです。
それを教えてくれたのが、「チョット待て!“自治基本条例”」で、
目次の4.もともと国家より市民に重きを置く「自治基本条例」には、
次のようなことが明確に書かれています。

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◎その理論とは、国家の概念を否定し、個人やグループの存在と発言に重きを置く運
 動体の中で生まれました。市民がやれないことを市町村がやり、更に市町村がやれ
 ないことを都道府県がやる。都道府県がやれない部分を国がやるという理論が生
 まれました。いわゆる「補完性の原理」です。そして、国がやれないことを国際機関が
 やる。「地球市民」などという発想も、こういうところから出てきています。
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この青色に変えてある部分は、僕がいつも思っていることと同じなので、
どうやら僕は、日本の政治社会に、この補完性の原理を求めていたようです。
なるほどそうした下地があるから、民主党への政権交代を喜んで受け入れ、
菅さんの脱原発政策にも、共通する価値観があったのかも知れません。
しかしなぜこうした考えが、「国家の概念」を否定することになるのか?
国民よりも国家を大切にすると言う、その国家とはいったい何なのか?
今の自民党に対し、新たにこうした疑問を抱かずにはいられません。

さらに不可解なのが、国家も自治体も議会も市民の信託に過ぎないなら、
これは「複数信託論」であって、国家の否定が根底にあるのだとして、
マニュアル作成当事の官政権を批判する根拠にしているのですが・・・・
様々な政策論争はあったにせよ、官政権が国家を否定していたとの主張は、
なにか荒唐無稽で、とても一般市民の同意を得る理論だとは思えません。
僕らは2元選択として首長と議員を選挙で選び、暴走しない政治を求めるし、
国会と地方自治体議員を別に選ぶことで、バランスを取っているのです。

そうしてあらためて、自民党マニフェストにある「新憲法草案」を見ると、
なるほど内閣総理大臣の指揮権のもとに、「自衛軍」の保持を規定し、
「国の財政健全化の確保に関する配慮義務を明記する」と同時に、
地方自治には国の財政措置など、新たな規定を掲げる」としています。
国民主権を維持するといいながら、実際に行おうとしていることは、
国家を一番大切なものとして位置づけ、地方自治も国民もこれに従わせる、
一昔前であれば右翼とも思われる思想が、今の自民党なのでしょうか?

自民党政権の末期に、民主党が「生活が一番」と掲げていたのは、
単なるパフォーマンスではなく、それが自民党との違いだったのでしょう。
すなわち自民党が、国民よりも国家を優先する政党であるのに対して、
民主党は国家よりも国民を優先することを主張して、政権を奪取したのです。
しかし政権を取った後の民主党は、次々にマニフェストを反故にするので、
結果として「国民主体」はまったく期待はずれでしたが、だからと言って、
国民よりも国家優先の自民党政権には、戻りたくもないのです。

いくら民主党政権が期待できないとしても、
国家優先の自民党政権に戻ってほしくはない。
小選挙区制となった日本で、究極の選択を迫られる、
悩ましくも、これが次の国政選挙での争点でしょう。

しかし南砺市の自民クラブ議員は、本当に市民より国家優先なの?
自民党員であることの意味を、再確認してほしいですね!