冬の自然農勉強会
富山県は雪国なので、冬季の自然農は基本的にお休みです。
雪の下から作物を取ってきたり、野菜の種を保管したり、
味噌造りや餅つきをしたり、なんてことはしますけど、
田んぼも畑も雪の下ですから、農作業はしないのです。
空いた時間は本を読んだり、映画を見たりして過ごします。
雪の下から作物を取ってきたり、野菜の種を保管したり、
味噌造りや餅つきをしたり、なんてことはしますけど、
田んぼも畑も雪の下ですから、農作業はしないのです。
空いた時間は本を読んだり、映画を見たりして過ごします。
月に一度の自然農学びの場もないのですが、その代わり、
屋内での勉強会はあるので、都合が付けば参加しています。
今月は22日の日曜日に、八尾のコミュニティセンターで、
大人20人、子ども8人ほどが集まって開催されました。
自然農に関心を持つのは、小さい子を持つ人に多いですね。
集まった子どもは、子どもどうして遊んでいますから、
大人は赤ん坊だけ連れて、皆さん熱心にお勉強です。
今回のテーマは、人類の歴史を振り返ってみた場合に、
古代の人々と僕らは、何が違って何が同じなのか、
かなり突っ込んだ、難しい話を真剣にしていました。
たとえば石器時代には、安定した作物もなかった筈なのに、
人類は様々な工夫と知恵で、自然界の中で生き抜いたのです。
それを思えば、現代人はいかにも無力になっていますが、
生命力が衰えてしまったと、理解すればいいのでしょうか。
生活が安定したことで、生命力が萎縮したのでしょうか。
毎年3万人以上の自殺者を出しながらも、現代の日本は、
石器時代に比べれば、暮らしやすくなったように思われる。
だけどこの暮らしやすさや、便利な社会というのは、
本当に人を幸せにしてくれるのかどうかは、わからない。
ある程度不便な方が、人間は十全に生きられそうなのです。
日々の食べ物に苦労する時代であれば、せっせと働き、
多少余裕が出来れば、不足している人と分かち合う。
皆が衣食住に満ちてくれば、様々な文化活動が生まれ、
それが人間生活を豊かにしてくれる、と思われます。
だけど実際には、苦しんでいる人が増えているのはなぜか?
人間の我欲が頭をもたげ、人と助け合うどころか競い合う、
人の迷惑を顧みずに、実力社会と称して他者を切り捨て、
多くの富を囲い込んで、それが立派なことだとさえ思っている。
これでは幸せな社会になどなるはずもなく、潤いを失って、
ついには自殺に至る人まで出てくる、そんな時代なのです。
池田昌子さんは、人はどうあれ自分だけは善く生きる!
と言う、この覚悟がないと、現代を真っ当に生きることは、
難しいのだろう、と思わざるを得ない時代なのです。
それでもこうして集まった、自然農の仲間たちは、
子どもたちの将来のために、今を正しく生きたいのです。