凍てつく寒さ

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日本国内でも、-20℃なんて所もあるようですから、
2~3度氷点下になったくらい、どうってことないでしょうが、
今朝はやっぱり寒くって、朝のゴミ出しがつらかったです。
ふとんから出るのもためらわれましたが、すぐにストーブを付けて、
いくつかのゴミ箱のゴミを市指定ゴミ袋にまとめ、準備は整いました。

さあ集積場まで運ぼうとして、玄関の引き戸を開けようとしたら、
しっかりと凍り付いていて、まったくビクとも動きません。
お湯をかけて溶かそうかと思いましたが、すでに長年の風雪で、
だいぶ歪みが出来ている建付の家ですから、少し隙間もあります。
その隙間を利用して、引き戸を斜めに持ち上げるように動かしてみたら、
なんとか凍り付きから剥がれたので、少しずつ動かして開けました。

道路には融雪装置が付いているので、ちょろちょろ流れる水で、
路上の雪は少しずつ溶けて、車の通行は確保されています。
今日は日中の雪は多くない予報なので、やがて車通りも増えたら、
あとは家の前の雪を多少除雪するだけで、生活に支障はありません。
僕が子どもの頃には、大雪になると家の前が雪で埋もれて、
車も通れなくなったのとは、大違いの便利さです。

だけど子どもの頃には、雪の量に合わせた楽しみもあって、
新雪の上を歩く厳かな気持ちとか、シャーベット状の雪の上を、
なにやらセクシーな気持ちになって歩いた秘密は、なくなりました。
純白の雪が降り積もり、すべてを覆い尽くして静寂が支配すれば、
この世界が、何か崇高な世界に通じていることを実感させた、
神聖な体験が、寒い冬の身近なこととして当たり前にあったのです。

退屈な教室の窓から、降り続く雪をジッと見上げていたら、
突然世界が天上へ向けて昇っていく感覚に、襲われたこともある、
あの幸福な一瞬は、40年後の今もしっかりと覚えています。
世界は複雑に入り組みながら、好きなパステージを辿っていけば、
地球上のどこへでも、歴史上のいつにでも旅することが出来る。
やがて自分は誰でもあり、どこにでも存在する命そのものになっていく。

ゴミ袋をぶら下げて、思わず知らず微笑みながら歩いていたら、
近所の奥さんが雪除かしの手を止めて、訝しげに僕を見ていました。
「おはようございます」と楽しそうに声を掛けたら、頭を下げて、
「おはようございます」と不思議そうな声が聞こえてきました。
今日もまた、奇跡に満ちた一日が始まっていたのです。