古代米を味わう!

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自然農を始めて15年、古代米を作り始めて12年ほどになりますが、
今のように多種類の古代米を作り、ブレンドするようになったのは、
たしか8年ほど前からではなかったか、と記憶しています。
何種類もの黒米や赤米を作って、その中から気に入ったものを選び、
さらにミドリ米や香り米との出会いもあって、やってみたことでした。

最終的に混ぜてしまうなら、最初から混在して育てても良さそうですが、
種類が違えば成長過程も違うし、稲刈りの時期も違ってきます。
それぞれの個性を活かしながら、多様な生命の存在を味わうことで、
何か計り知れない「生きている」意味を、感じ取ることができる。
そんな様々な成長と実りの総体として、ブレンド古代米はあるのです。

苗の時期には似たようなものなのに、成長して稲刈りの時期には、
早生黒米のように、早々と花を咲かせて収穫時期の早いものもあるし、
ミドリ米のように、一ヶ月ほど遅く花を咲かせるものもある。
JAや農家の人たちは、少しでも早く収穫できる品種に統一して、
単一品種で少しでも早く、「新米」を売り出すことに一生懸命です。

一方で生物多様性を謳いながら、他方では単一品種を大量生産して、
経済的利益を最大限まで求めるのが、現代の特徴かもしれない。
それを教育まで広げれば、大勢の子どもを一カ所に集めて同じ教育をする、
そんな合理化が進んでいるから、はみ出す子どもも増えているのです。
多様な品種や多様な子どもを、そのまま育てて受け入れたい。

一人の人間の価値観は、ばらばらに分裂しては持ちきれないので、
合理化が大切と思えば、あらゆるものを合理化して考えるようになる。
同じように個性が大切だと思えば、子育ても食物も多様性を重んじるので、
落ちこぼれやはみ出し者を生むのではなく、それぞれの個性まで、
多様性の一環として受け入れ入れるから、合理化は進まない。

そうした多様性を受け入れる土壌として、環境保護は大切な観点であり、
僕らは自然保護においても子育てにおいても、政治参画においてさえ、
一貫して個性を重んじ、多様性を受け入れる社会を求めるのです。
それは民主主義そのものであり、強者理論による多数決を良しとせず、
弱者を守って多様性を維持する、人間としての生き方を問うのです。

古代米を味わう話しが、政治や生き方の話になってしまいますが、
それらは別々のものではなく、渾然一体とした一つのことなのです。
僕らは世界を学ぶことで、自分がどうあるべきかを身につけ、
それを実行することによって、望みを実現していく存在なのですから、
多様性を重んじ、ブレンド古代米を食べることが生き方に繋がるのです。

もちろん僕の「七種ブレンド古代米」は、理屈ではなく美味しいので、
少しでも多くの人に、一度味わっていただきたいと思っています。
体力的なこともあって、来年は作付けを減らす予定なので、
興味を持った人は下記より、今年のうちにお申し込みください。