海水で豆腐作り

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平野では開拓当時から、海水を使った豆腐作りをしていました。
今では島民もスーパーで買う生活で、自分で作らなくなりましたが、
たいていのお年寄りは、昔取った杵柄で豆腐作りができる。
それなら僕らも、今年は自家製の大豆を持っていって、
海水を使って作る島豆腐を、実体験してみることにしました。

自分で作るとは言っても、現地で使う道具は借り物ですし、
海水がどの程度必要なのかから始まって、火の加減もわかりません。
そこで宿のオーナーに相談したら、部落のお年寄りも加わって、
みんなで豆腐作りをすることになり、賑やかに始まりました。
それぞれ頭に思い描いていたイメージは、目の前の現実に修正され、
出たとこ勝負の豆腐作りでしたが、無事に島豆腐ができました。

枠取りはしませんでしたから、基本的には“ゆしどうふ”ですが、
大鍋にたっぷり作った島豆腐を、好きなだけすくって食べる。
なにしろ自家製の大豆ですから、美味しくないわけがないということで、
試食から夕食のおかずまで、見る間に減ってなくなっていきました。
大切な食だからこそ、自分で作る面白さを味わった感じです。

オーナーは元々神奈川の人ですが、教職を退職後に宿を買い取り、
今では悠々自適に、宿の前の田畑でパイナップルなどを作っています。
生まれが満州で、小学校低学年に日本に戻ったそうですが、
最初は日本語がわからなくて、まずはその辺から苦労されている。
だけど彼のお母さんは、通知表が「1」でも怒ったりしないどころか、
「1番で良かったね!」と言って、笑っていたそうです。

彼を育てたものは、お母さんの大陸的なおおらかさだっのかも、
そして彼は教育の世界に飛び込んで、多くの人脈を持たれたようです。
当時の慣習として、長男だけが大切にされたようで、
末っ子だった彼は、自力で世間の荒波の中を生きてきた、
そんな苦労を当たり前に乗り越えたから、農業も楽しいようです。

我が家の姫を大切に見てくれて、町へ買い物に行くたびに、
姫が好きそうな物を、見つけて買ってきてくれるのもありがたい。
一度はヤクルトを2パック買ってきて、同じ日に僕らも1パック買って、
別の客も1パック買って、ヤクルトだらけになったこともありました。
庭に置いた大きなプールも、姫に合わせて見繕ってくれたもので、
僕らが海に行けないときは、これを海だと言って遊んでいます。

そうそう豆腐作り当日に、加減を指南してくれたオバアは、
大勢の子どもに恵まれた人なのに、海で3人の男の子を亡くし、
今は未婚の長男と二人だけで、静かに暮らしている人です。
孫でもいればもう少し楽しいだろう、と思いますが、
過疎で農業を営む長男に、嫁の来ては無かったようです。