「リックの量子世界」

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創元社のSF文庫で、ちょっと風変わりなSF小説と思える、
ディヴィット・アンブローズの「リックの量子世界」を読みました。
何が風変わりかと言えば、僕の知っているSF作品のほとんどは、
未来を扱った“空想科学小説”だろうと思うのですが、
どうやらそんな概念は過去の遺物のようで、この小説は違います。
特別目新しい科学技術は出てこないし、宇宙の話でもなくて、
あまりにも日常の生活が、だけど有り得ない展開をするのです。

題名に“量子世界”の文字があるので、この言葉を知る人なら、
ある種のパラレルワールドを描いた作品だと、想像できるでしょう。
だけどこの小説には二重の仕掛けがあって、前半から中盤は、
あるとき、二人の人格が一つの肉体に共存してしまったことで、
とんでもない状態に慣らされながら、現実を受け入れて対応していく。
と同時に、後から入り込んだ自分は、元の世界に戻りたくて、
物理学者や精神科医の助けを借りながら、それを実現する物語です。

ところがこの小説の仕掛けは、それだけでは終わらないから面白い。
終盤になって、この物語を報告する立場の人が変わるたびに、
つまり現実にあったことは、たった一つのことでしかないのに、
報告者によって、違う世界があったかのように変容してしまうのです。
しかもこの混乱しそうな内容を、破綻無く一つの物語にすることで、
作者は「人間の意識とは何か」を問いかけているように思われる。
つまりこの作品は、量子論にヒントを得た人間探求小説でもあるのです。

主人公のリックが、隣接する別世界の自分であるリチャードに同居し、
微妙にずれているリチャードの世界を、少しずつ探求していく中で、
同じ妻であるアンの、もう一つの顔を見てしまうことになる。
リックにとっては別世界なので冷静だけど、リチャードは混乱し、
そのリチャードをなだめるリックの様子には、切実なものがあります。
それはちょうど、普通に僕らが覚える心の葛藤でもあるからでしょう。
見方を変えれば、別世界はいつだって“ここ”にあるってことです。

これだけのややこしい話を、混乱せずに書き上げたディヴィッドは、
もともと演劇、テレビ番組、映画の脚本を数多く書いていて、
すでに脚本家としての名声をえたあとで、小説に転向した人なのです。
この作品は、彼が最初に発表した小説だそうですが、すでにその後、
「そして人類は沈黙する」「幻のハリウッド」「偶然のラビリンス」
等々、7本の小説を書いて、5本は邦訳も出ているのです。
この不思議なパラレル世界のSFは、僕が知らなかっただけ?
 
 
ディヴィット・アンブローズの「リックの量子世界」は、↓こちらから。
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