ひとりの子どもが流す一滴の涙の代償として

大江健三郎さんの本を久しぶりに読みました。
本の題名は「伝える言葉・プラス」ですが、
2004年から06年に掛けて彼が何を考えていたか、
およそのことが、この本の内容からわかります。
そこには彼の生涯のテーマとなっている二つのこと、
一つは息子の光さんとの繋がりによる人間の本質のこと、
そしてもう一つは戦後の沖縄に始まる人間社会のことが、
一度は絶望したことのある希望的楽観によって書かれています。

学生の頃に永井荷風谷崎潤一郎が好きになって、
その後も山田詠美村上龍が好きだった僕の趣味としては、
大江健三郎の作品は、正直言って読みにくくてきらいでした。
だけど沖縄や広島を正面から見据えて書き続ける態度は、
この本の内容にもある「真っ直ぐに立つ」ことの大切さを、
自らの生き方としても示している信頼感があったのも確かです。
この数年は憲法9条を守ろうとする立場からの活動もあり、
教育基本法の改定に対しても、明確に反対の立場を取られていた。

膨大な人命犠牲を経て打ち立てられた戦後民主主義の流れは、
にこやかに弱者を切り捨てる甘いスマイルの王子様的政治家と、
邪悪な大蛇をも思わせる冷酷な顔をした権力者の思惑によって、
すばやく確実に全体主義の管理国家へと方向転換を始めている。
しかも彼らの後押しをしているのは、多くの選挙民にほかならない。
国民が自ら選んだ道だから、管理社会になるのもまた良しなのか?
あらゆる情報が公正に示された上での判断なら仕方ないとも言える?
だけど現実は、政府の偏った情報だけが一方的に流されている。

大江さんは、教育基本法の改定に関しても阻止が難しいと知っていて、
まだ改定成立前の文章でも、改定を阻止しようとは言われない。
ただ、以前の教育基本法では「自他の敬愛と協力」だったものが、
「我が国と郷土を愛して他国を尊重する」となることによって、
以前の個人尊厳から、国家優先社会への転換点になることを指摘される。
この方針に従って、新しい法律は国の反映のために弱者を切り捨てる。
税制改革も自立支援法も、内容を見れば弱者切り捨てになっている。
個人の幸せよりも国家の利益が優先される社会作りを目指している。

僕の親しい大学の先生は、国民がバカだから仕方がないとおっしゃる。
たしかに多くの知識人、社会学者たちは警告を発しているのに、
選挙をすれば、「弱者切り捨ての人気者たち」が当選するのだから、
市民は自分の生活を守るために、人のことをかまっていられなくなる。
いろいろ批判する人はいても、この邪悪な政治を自分が担っていると、
自覚している人は、あまりにも少ないのではないかと不思議に思う。
大江さんがドストエフスキーの言葉を引用して言われるように、
「弱い人を犠牲にして築くすばらしい社会」など糞っ喰らえだ!

「たとえこの巨大な構築物が最高にすばらしい驚異をもたらすために、
 たったひとりの子どものたった一滴の涙という代償ですむとしても、
 ぼくはね、そんな代償を払うことを拒絶する」『カラマゾフの兄弟』から

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