自己肯定感と他者共感

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高岡のウイングウイング6階の会議室で、
「子どもの安全・安心と支援のあり方」と題して、
早稲田大学文学部教授 喜多明人さんの講演がありました。
(子どもにやさしいまちづくりのために)と副題があったので、
子どもの問題と言うより、大人が作っている社会の問題として、
是非とも話を聞きたいと思って行ってきました。

内容としては予想通りに、安心と安全は「両刃の剣」であり、
向かうところは、監視・管理社会であることを踏まえた上で、
我々はこの先、どのような社会を作ろうとするのかのお話でした。
今までの学校教育の諸問題を超えて、文化構想学部・社会構築論へ、
新たな学問分野を切り開かれているのは、先見の明もあるのです。
日本語で「子どもの権利」と言えば、わがままな印象があるけど、
もともとは“child right”で「正しい子どものあり方」だってこと。
こうした観点から、子どもの心に寄り添うことを主眼に考えます。

去年は、子どもと教育をめぐる問題がマスコミをにぎわせましたが、
教え子を亡くした関係者たちは、謝罪と責任の話しばかりで、
死んだ子どもの心を思いやる、悲しみの気持ちが感じられない。
マスコミでは先生や教育関係者の責任追及ばかりが飛び交って、
子どもと先生を支援していく視点が、不足していると指摘される。
特に何が子どもの気持ちを追いつめているかに関しても、
バブル崩壊後においては、大人が子どもを見る余裕をなくしており、
子どもに自己肯定感がなくなってきているのが問題だと指摘される。

他者の痛みに対する共感が薄れ、自己肯定感がなくなってきたのは、
まさしく子どもだけのことではなく、社会全体の姿でしょう。
近年の競争原理に基づいた自己否定的な社会不安そのものが、
子どもの世界にそのまま映し出されているのが今の問題だとすれば、
東京都下のどこかのように、学校のセキュリティを向上させて、
いくら子どもを監視カメラで管理しても本来の解決にはなりません。
自己喪失した子どもがそのまま大人になれば、不安定な人になる。
これが、現代の若い人に見られる切れやすさにも繋がっているのかも。

子どもが受ける暴力やいじめは夫婦のDVと違って取り替えられない。
親や友達から暴力を受けても、彼らと仲良くしたいと思っている。
こうした子どもの特性を受け止めて、子どもの心に寄り添うこと。
そのためには大人の感覚で助言せずに、話を聞いてあげるのが大切で、
現代の大人がその余裕を失っているのが一番の問題だと指摘される。
ここまではまったく共感するのですが、さてそれではどうするか?
子どもたちが自己肯定感を持てるために、社会は何をすればいいのか、
実はこの本題とも思われる話はあまり聞けないまま時間になりました。

いずれまた、調査のためにゆっくり来県なさるとのことなので、
機会があれば、じっくり子どもにエンパワーメントする方法など、
まちづくりの一環として、何ができるのかを聞いてみたいところです。

講演で紹介された本「子どもとともに創る学校」の詳細は(↓)こちら。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4535562377?ie=UTF8&tag=isobehon-22