「ネオコンの論理」

朝から秋晴れのような気持ちのいいお天気で、
シーツなどの大物を洗って屋上の物干しに広げた。
そろそろ原稿を書くにも気持ちのいい季節になってきた。
でもまだ原稿には取りかからずに、本ばかり読んでいる。

今回は、9月のフィロソフィアで取り上げられる予定の、
ロバート・ケーガン著書の「ネオコンの論理」だ。
邦題はあまり良くないけど、原題を見ると、
「 America and Europe in the New World Oeder OF PARADISE AND POWER 」
となっていて、これがそのまま本の内容でもある。

ヨーロッパはEU統合に見られるように、力の世界を克服して、
法と倫理による理想的なパラダイスを作ろうとしているが、
これはアメリカによる軍事力が世界の安定を請け負っているから可能なので、
アメリカがそうした立場から、内側には人権と民主主義を掲げ、
外側に対しては力によって押さえ込もうとするのは自然なことで、
こうした態度は911に始まったわけではなく、
アメリカの建国当初から変わらない国の姿なのだと説いている。

なるほどこのダブルスタンダードを理解すれば、
表面では世界中に理想の国の在り方を説きながら、
反面「テロリストは誰だ!」に見られるような破壊活動を、
世界中で展開するアメリカの在り方がよくわかる。
しかしだからといって納得できないことは数多くあって、
一つの正義で世界中の価値観を統一しようとしても無理だと思うし、
そうした態度で世界に平和と自由をもたらすことは困難だ。

さて、このダブルスタンダードは、やがて統一されるべきなのか?
僕はそこで、統一されるのではなく、多様化する方がいいと考える。
多様化と共生を認め合う世界、そこに将来の活路があると考える。
そこに軍事力が依然として必要だとすれば、国連軍のように、
特定の国家に依存しない軍隊でなければならない。