児童クラブと児童教室
(寺子の児童クラブ)
昨夜は福野庁舎で、子ども・子育て会議がありました。
今年2回目の会議は、年末に行われるアンケートに関わるもので、
僕らはその内容を吟味して、意見を述べることが出来ます。
ところがその冒頭から、僕は言葉の内容がよく分からなくてつまずき、
いろんな人と遣り取りがあって、余計な時間を使ってしまいました。
このアンケートは、ほぼ政府の指針に従って作られますが、
その内容の中で、児童クラブと児童教室を一本化すると言うことが、
どういうことかよく分からなくて、質問してみたのです。
そもそも児童クラブとは何か、その定義がよく分かっていない。
そこで初めて、児童クラブは共稼ぎの親のために作られたもので、
誰でもが参加できるわけではない、と言うことを知りました。
児童クラブには参加制限があって、児童教室には制限がない。
これを一本化するとは、児童クラブも参加の制限がなくなることで、
誰でもどちらも利用できるようになるのか、と考えたわけです。
ところが実際はそうではなく、児童クラブの制限は変らないままで、
児童教室と児童クラブの場所を、一本化するだけのようなのです。
アンケートは3種類あって、未就学児保護者用と小学生保護者用、
そして妊産婦用となっており、それぞれ子育てに必要なサポートを探る。
その考えは基本的に賛同しますが、内容をよく読んでみると、
ある種の誘導を感じて、あまり気持ちがよくありませんでした。
父親と母親に対して、フルタイムとパートタイムの枠にはめ込み、
その先にはフルタイム労働を推し進めて、多く働く社会を求めている。
児童クラブが共働き世帯を対象とするのは、同じ発想の必然で、
よく働く家庭だけが、子育てに行政の援助を受けられるようになる。
しかもこの援助は、どのようにでも使えるわけではなくて、
行政のコントロールが利くような形でしか、受けられないようです。
生活の多様性を謳うにしては、なにか浅ましさが漂って感じます。
税収を確保したいのはわかりますが、将来の在り方を考えるとき、
なるべくお金に頼り過ぎない社会にしたい、と思うのは間違いなのか?
あるいは、すでにお金が水や空気のように必需品になっているなら、
基本的に必要なお金は、全市民に配布した上で使い方を考えたい。
そうでない限り収入格差による、貧富の差は大きくなって、
社会に無用な不安定要素を持ち込むことになる、と考えるのです。
今回のアンケートの内容は、政府方針に添ったものですから、
こんな要望を言ったところで、皆さんの迷惑にしかならないと思う。
よってその辺の意見は言いませんでしたが、何か突破口は無いか、
じわじわとお金に縛られる暮らしにならないよう、多様性を残すために、
自分に出来ることは何か、改めて考えてしまったのでした。