米作りは特別です

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先日秋分の日に、八尾の大長谷にある石黒宅で、
自然農田畑の、秋の見学会がありました。
今年は頼成の学びの場にも、あまり行けていないし、
自然農仲間と会う機会が、減ってきています。
人は一人では何もできなくて、仲間がいて初めて、
自分が何をしようとしているのかが、分かると言える

生き方としての自然農を、続けているつもりでも、
今年の僕は、その自然農があまりうまくいっていない。
田植え時期に体調を壊したのが、一番の要因で、
田植え後の手入れが、思うようにできなかったばかりか、
春植えの野菜も手入れができず、ほとんど収穫できなくて、
秋野菜はまた初めから、コツコツ始めた次第です。

学校の仕事で稼いだお金は、姫の出費で全部飛ぶので、
生活費は相変わらず、少ない年金でしかありません。
妻の稼ぎが家計の役に立つことは、まだ当分なさそうだし、
倹約して切り詰めて、暮らしていくしかないでしょう。
そんな中で、農作業による収穫は大切なのですが、
中でもお米の有る無しは、暮らしの余裕に直結します。

なるべくお金に頼らない暮らしを、求めていながら、
実際にはお金がないと、現状を変えられない現実がある。
お金がないと、お金に頼りすぎない暮らしは難しい、
なんて矛盾したことが、現実にはあるのです。
それでも少しでも、お金には距離を置いて暮らしたい、
自然農はその手段でもあり、生き方としての目的でもある。

今は姫の将来に向けて、今しかできないことのために、
精一杯働いてお金も使い、未来を作っていると言って良い。
大切なことのために、けっこう無理して働いて、
少しずつ体調も悪くなっているのは、分かっている。
それでも米作りは、これができなければ生きてはいない、
くらいに大切に思い、生き方の核になっているのです。