「旅の終わりに」

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マイケル・ザドゥリアンなんて作家は、知らなかったのに、
認知症の夫と癌末期の妻が旅に出る話には、関心を持ちました。
癌末期と言えば、ケア医療とかが盛んになっていますが、
痛みを和らげて死ぬのを待つだけなんて、つまらないと思う。
死ねば自由を失うのだから、せめて生きている間は自由に、
どのように生きるかを決めて、そのように生きていたいと思う。
そんな思いが、この作品には込められているように感じたのです。

読み始めてみると、かなりの部分は想像したとおりの展開で、
一人では何も出来そうにない、重い認知症と思われる夫のジョンは、
すでに薬無しでは暮らせない妻のエラと、誰にも内緒で旅に出る。
子どもたちに言えば、間違いなく反対されるとわかっているし、
医者や友人だって、賛成してくれる人はいそうにもない。
だけどこれが最後だと思うからこそ、エラはジョンを連れ出して、
デトロイトからロサンゼルスまで、二人だけの旅に出たのです。

物語はエラの口調で、起きたことを淡々と綴る日記風ですが、
実際に癌末期の患者なら、こんなに文章を書き続けられないはず。
そう言う意味では、これは間違いなく計算して書かれた小説ですが、
軽妙な語り口は、翻訳した小梨直さんのうまさもあってか、
まるで自分が一緒にそこにいるような、親密さを感じるのです。
それは僕自身も、人生の最後に近づいたこともあるのでしょうが、
それ以上に自由でありたいと願う、命の声に共感するからなのです。

二人はこっそりと誰にも言わず、早朝にデトロイトを出た後、
用意してあったキャンピングカーで、国道66号緯線を走り出す。
このルート66は、アメリカ大陸を横断する代表的な国道で、
実際には新しい道路に役割を譲った後も、ポップカルチャーとして、
様々なドラマ、映画、音楽の中で扱われて、今でも人気がある。
いわばアメリカの近代史そのものである、この道路を辿って、
老いた二人が向かったのは、懐かしいディズニーランドでした。

小説はデトロイトのあるミシガン州から始まり、インディアナ州
まさにロードムービーのような感じで、古い66号線を西に向け、
運転だけはしっかりしているジョンが、エラの指示に従って走ります。
テキサス州では、ジョンが見つからなくなったり強盗に会ったり、
だけどその都度、エラは自分でも驚くような素早い判断で、
ジョンを見つけ出し、強盗も追っ払ってしまうのです。

さらにニューメキシコ州アリゾナ州と旅を続けていきますが、
最後のカリフォルニア州へ着くと、そこが最終到着地点となります。
ジョンは相変わらず妻のエラを思い出したり、すべてを忘れたり、
次第にすべてがどうでも良くなるのですが、エラのことは気に掛ける。
すでにエラの命は風前の灯火で、辿り着いたディズニーランドでは、
気を失って病院へ運ばれようとするのですが、エラはそれを拒む。
そしてジョンを頼りに、最後のホテルへと向かうのです。

人生は旅と言いますが、この小説で描かれたのはまさに人生で、
エラは自らの旅の終わりをどうするか、自分で決めたかったのです。
友人夫婦が片方だけ残されて、施設に入れられた後1年で亡くなった、
その友人を施設に見舞ったときのことを、エラは忘れられません。
月に二回、ひどい匂いのする廊下を通ってお見舞いに行くのですが、
相手はもう亡くなった妻のこと以外、友人も何もわからなくなっている。
自分たち夫婦は最後まで、二人一緒にいたいと願わずにはいられない。

人生も最後に近づいたときに、残る命を誰かに託したりしないで、
自分たちでどうするかを決めて、精一杯生きて命を終えたい。
そんな願いを具体的な形にしたのが、この二人だけの旅だったのです。
懐かしいルート66の有り様は、日本の僕らにも同じ事でしょうし、
経済発展と共に失われた何か、もう二度と手に入らなくなった情熱は、
それが何だったのか、死ぬ前にもう一度見ておきたいのもわかる。
読み終わって、単なる悲しみではない涙が出そうになる作品でした。