収まりどころだった男と女
いつかは結婚したいはずの男女が、30歳を過ぎたあたりから、
わざわざ結婚するのが面倒になるのは、どうしてなのか?
そんなことを考えていたときに、ふと思い出したのが、
「結婚するのは家のため、離婚しないのは子のため」でした。
これは僕の母が言っていたことで、半世紀前の日本女性は、
おおむねこんな感じではなかったのか、と言うことです。
そもそも結婚とは何か、と考えてみるにしても、
西欧文化のように、個々人が自立してパートナーを求め、
それが結婚となって家庭を作るのと、日本文化は違っていた。
個人が中心の西欧文化と違って、日本文化の中心は家制度なので、
一個人は家に組み込まれることで、自分の存在を示したのです。
この家感覚は、戦後もまだ続いていたのですが・・・・
戦後の混乱期から、経済成長に伴って生活が楽になるまで、
多くの人々は家制度に守られ、家を守ることで生活を守りました。
それがバブル経済によって、家より個人が中心になり、
バブルが崩壊したときはもう、家制度は失われていたのです。
ここにおいて結婚は、家ではなく個人の一大事ですから、
結婚に慎重な人が増えて、やがて結婚に踏み切らなくなる。
家制度が生活を支えているなら、家のために結婚もしますが、
家が生活の支えでないなら、結婚する理由がはっきりしません。
西欧文化のように、個人が自立しているならまだしも、
個人では自立できない日本人は、組織に所属する道を選ぶしかない。
こうして正社員神話が生まれ、男女平等と格差社会が進んで、
結婚しない選択が、現実のものとなってきたのです。
昔なら男は男であることで、何をすれば良いかが決まっており、
家の主人として熟していれば、文句を言われる筋合いもなかった。
女は女で家の中のことさえ熟せば、仕事も収入も男に任せ、
社会的なことには無頓着でも、何も困ることはなかったのです。
そんな男女がいつの間にか、自立した人間であることを求められて、
男でも家の中のことを熟し、女でも社会的なことを求められる。
僕も15年前には、日本人はもっと自立する必要があると考え、
日本自立プロジェクトにも、参加していたのですが・・・
戦後この国自体が自立できていないように、個人も自立できずに、
したがって何のために結婚するのか、わからない人が増えた。
かつての「家を守る」と言うような、必然性が見つけられずに、
ずるずると独身生活が続き、やがて慣れてしまうのです。
男でさえあれば良かった時代、女でさえあれば収まった時代は、
自分の役割もはっきりしていたから、結婚もしやすかった。
だけど決まった役割が否定されて、自分で見いださなきゃいけない、
となると何が何だか、自分の価値さえわからなくなるのです。
求められることが高度になってしまって、それに応えられないと、
DVや発達障害となって、さらに結婚は難しくなるでしょう。