臥蛇島を考える
日本が完全に、貨幣経済社会になったのは、
せいぜいこの100年か、200年のことでしょう。
それ以前は有史以来、千年二千年の長きに渡って、
お金によらない経済共同体が、社会そのものでした。
現在のように、所有する財産も少なかったでしょうが、
それらは個人のものではなく、みんなのものだった。
財産を個人所有にしなければ、大切にしない?
なんてのは、公共心のない現代人が考えることで、
1970年に全世帯が離島するまで、個人財産はない。
所有財産もない小さな島で、千年近い歴史を持ち、
私有観念のない共同体で、豊かな暮らしをしていた。
こんな記事が、河出書房新社の「秘島図鑑」にあり、
俄然この島に興味を持って、少し調べてみました。
1970年以前は、有人島だったわけですが、
1940年頃には、カツオ漁の基地として栄え、
180人ほどの人が、暮らしていたとされています。
基本的には焼き畑と漁の島で、自給自足できたのです。
経済の拡大と戦争によって、島の様子は一変して、
そこへ経済成長に伴う集団就職で、若者がいなくなる。
最近は新しく、臥蛇島プロジェクトなど企画されて、
今の臥蛇島へ渡る人もいますが、探検のようなものです。
失われた往時の様子を探り、報告会などを開いて、
どんな暮らしだったのか、記録が残るようになりました。
室町時代の文献に登場して、古くから人が暮らし、
江戸時代には、島津藩から租税納付を求められている。
今の暮らしから考えれば、とてつもない不便な島で、
ライフラインの定期便でさえ、欠航が相次いでいたのに。
1959年に、詩人の谷川雁さんがこの島に渡り、
一ヶ月間滞在して残した記録も、興味深いものです。
「人々の最大の敵は自然であり、
言葉を変えれば飢餓と孤独である」
と言うのは切実で、島暮らしの厳しさを現します。
その一方で、貨幣経済の真逆である共同体世界の豊かさを、
日本の明日を考える上で、貴重な何かであるとも言う。
この豊かさとは何なのか、もう一度考えてみる必要がある。
「私たちの文明はいったい前進しつつあるのか、
停滞状態にあるのか、
それとも空洞化して後退しつつあるのか。
絶対的貧困の中で守り続けられた非所有の感覚は近代を貫いて、
さらに前方へ穿岩する硬度を持ちうるのではないか」
谷川雁さんは、このように感想を書き残しているようです。