センサーと人感

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このところ、収穫した大豆類を抜実していますが、
乾燥した莢の中から、大豆を取り出しながら、
人間が捉える微妙な感覚に、驚いたりしています。
枝振りの良い大豆を、指で押し割りながら、
中の大豆を一粒ずつ、取り出していくのですが、
目で見て作業するだけでは、取り残しが出てくる。

そこで一通り取った段階で、軽く振ってみるのですが、
そうすると音や感触で、取り残しが微妙にわかる。
音や感触の中に、大豆の重みが伝わってくると言うか、
それも一降り二振りするだけで、わかってしまうのです。
残っているのがわかれば、もう一度そこを見れば、
今度は目でもって、どこに残っているのかがわかる。

僕らは手の感覚によって、どの程度の違いがわかるのか。
例えば何かの表面に触れるだけで、それがどんな物か、
かなりの選択肢特定まで、わかってしまうことがあります。
極端に言えば、物質としてだけに留まることなく、
生物同士であればその反応によって、敵味方までがわかり、
愛憎の度合いまでが、接触によって計れるのです。

もちろん微妙な重さも、数値ではない量でわかるし、
温度や圧力も、必要なことはたいがいわかる。
男も女も、異性の手に微妙な魅力を感じるものですが、
手が相手に触れることで、かなりのことが通じます。
そこで相手に反応があれば、好き嫌いもわかるし、
その先どうすれば良いか、未来までも見渡せるのです。

そこには確かに時間があって、触れること+時間で、
さらに多くのことがわかり、あらゆる質感から、
嫌悪や好もしさまでが、次々に伝わってわかるのです。
音だけでなく、色形だけでなく、匂いでもなく、
味わいでもない何かが、間違いなく伝わり合って、
この世界が何で出来上がっているかを、思い知ります。

その微妙な何かは、芸術と称されて表現されたり、
言葉として残されたりもしますが、たぶんその多くは、
命の一瞬の喜びとして、火花を放って消えるのでしょう。
実用に役立つこともあるけど、むしろそれ以上に、
命が持つ不思議な喜びを、解き放ってくれるようです。
手を広げて掌を世界に向ければ、世界がわかる・・・

機械のセンサーは、どうなんだろうか・・・