日本人は本当に豊かなのか?

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自然農はなぜ「問題を起こさない生き方」と言えるのか、
この定義を考えるときに、それ以外の生き方を考えてみます。
するとどうしても欠かせないのが、お金経済の問題と、
人間が幸福に生きるために、必要な物事の検証でしょう。
確かに世界には、「国民幸福度」と言う考え方もありますが、
実際に実効支配しているのは、経済「国民生産額」と言えます。

お金よりも大切なものがある、のは確かだと思う人も、
少なくとも日本に住んでいれば、生きているだけでお金が掛かる。
エアコンがないと命の危険があるから、原発は止められない、
なんてことを言った人がいますが、そうでないとしても、
電気が止まってしまえば、今の暮らしはたちまち出来なくなる。
電気ガス水道のインフラは有料だし、税金だって掛かります。

明治時代の初期であれば、税金を納める人は限られており、
電気ガス水道のインフラも、ほとんどの人には関係ありません。
まして携帯電話やパソコンの通信費など、ありませんし、
現代人が追い回されているお金の大半は、必要ないのです。
その代わり、生活に必要な道具や食料などは自分で作り、
現代のように洗練された衣食は、願うべくもなかったでしょう。

そして人々の暮らしは、自らの手で日用品を作るのですから、
家族はお互いに必要不可欠で、家が生活の基盤を担っていたのです。
現代のように、好きな人との子作りをするだけの家族になれば、
子どもが生まれてしまえば、一緒にいる必要はなくなってしまう。
その後の暮らしに必要なのはお金だから、家族は厄介者のように、
経費と収入のバランスで、一緒に暮らすかどうかを考える。

だけど何をするにも、家族の協力が必要だった時代には、
男は男の、女は女の、家長は家長の役割があって当然でした。
そんな時代には、お金ではなくて人が必要とされますから、
お金の有る無しより、人の能力や性格の方が大切だったでしょう。
環境に対する負荷は当然少なくて、地球温暖化なんてあり得ず、
光化学スモッグも、汚染水問題も無かったはずです。

それでも人々は、百年前の暮らしよりも今の暮らしが好きで、
この暮らしを維持するためなら、破滅しても良いと思っている?
そこまで思わないにしても、試してみたい商品に満ち溢れ、
高級な商品に憧れて暮らすのが、幸せな暮らし方だと思っている。
つまりこの目標自体を間違っているとは思わず、執着するから、
問題は解決することなく、膨らみ続けているのです。

それではこの執着を自覚し、方向を変えることで、
問題を起こさない生き方をすることは、出来ないのか?
そこでまず必要なのが、人は生きている限り食べざるを得ない、
食べることで繋いでいる命を、どうやって維持するかを考え、
食料を作ることから、見直しを掛けてみるわけです。
機械や化学肥料を使った大量生産でない、自然な食を摂る。

自然農による食料生産は、環境負荷も少ないですし、
化学肥料や機械に頼らないから、環境を壊す工業も少なくて良い。
一人の人が自分で生産できる量は、限られていますから、
いくら頑張っても、富の集中や貧富の差は限られたものになる。
社会インフラは少なくて良いし、やり方次第で自給できれば、
心にそぐわない指示には、従う必要も薄れるでしょう。

さて、それでも物の豊かな生活を望むのであれば、
それはそれでいいと思うのですが、少し考えていただきたい。
人間にとって、あなたによって幸せとは何かと考えて、
そのために優先すべき事や、捨てなければいけない執着や、
新たな百年後にどんな生活を望むか、考えていただきたいのです。
その上でお金の方が大切なら、なにをか況んやでしょう。