こんな田植えも・・・

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今では何でも早くなって、田植えも早まり、
田植えのピークも、既に終わっているようです。
だけど以前は、今頃が田植えの盛んな季節で、
入梅の時期には、至るところで田植えが見られました。
自然に育てた苗であれば、5月下旬の暖かい日に、
一気に成長するので、これを植えていたのです。

機械化や合理化が進んで、田んぼの様子も変り、
除草剤と組み合わせて、直播きする田んぼもあります。
そんな合理化に逆らうように、僕らの自然農では、
自然に育った苗を、一本一本手で植えていく。
手間暇が掛かるので、時間も掛かりますし、
自然の状態に合わせるので、無駄も多い作業です。

だけど一見無駄に見える、こうした作業こそ、
人間にとっては貴重な余白で、何かが見えてくる。
表面の草を丁寧に除けて、亡骸の層を露わにし、
張り渡したロープの目盛りに合わせて、田植えする。
植物と人間の関係や、美しさとは何なのかを考え、
地面に穴を掘って、その穴に稲苗を押し込んでいく。

田んぼの見かけを美しくしたって、意味がない、
と思うとしたら、どんな美しさだって意味がない。
美しさは至るところにあって、人を引き寄せながら、
またその人が、美しさを表現するのを待っている。
そんなことを本気で考えるとき、何かがポンと花開き、
この世にあるすべてのものに、意味を感じるのです。

秋の収穫を思いながら、黙々と手作業で田植えする、
早朝の空が晴れていれば心地よく、黙々と田植えする。
小雨でも根気よく作業して、あれやこれや考えて、
草を刈り、ロープを張り、屍の層を剥がして苗を植える。
淡々と続ける内に、何も考えなくなる自分に出会い、
自然と一体になった自分を感じて、深呼吸を一つする。

問題を起こさない生き方を考えて、自然農に行き着いた、
先人の知恵を有り難く受け継ぎ、自らの生き方とする。
多くの労をいとわずに、少しの成果を求めていけば、
いつか自分が、大いなる自由に触れる心地がするのです。
ミミズやオケラが飛び出して、小鳥がそれを求め、
少し離れながら、僕の後を追いかけてくるようです