水と空気と土と女

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この頃僕は、市民活動も行き詰まって低調ですが、
市行政としてみれば、支援員や協働部の活躍もあり、
行政改革と合わせて、成果が出ている評価のようです。
様々な会議や打ち合わせも、予定調和に従って、
提起された問題は解決されて、順当に進んでいる。

解決できない問題は、当該会議のテーマでは無く、
どこか別の会議で議論することで、終わってしまう。
参加者のほとんどは、市政に関与したことのある人で、
何を大切に議論すれば良いか、わかっているのです。
僕のように疑問を持って、市民参加するような人間は、
世間知らずの部外者として、体よくあしらわれる。

これは石黒さんなんかに、散々忠告されていたことで、
こうなることはわかっていた、としてもやってきた。
最初からやっても無駄として、何もしなければ、
もっと停滞した市政として、危機が早かったかも。
なんてことを思っても、誰もそんなこと気にしない。

2月は毎年運気も停滞して、体調も思わしくなく、
いろんなことをするには、良い月だとは思えません。
そこでじっと考えてみるに、自分はなぜ帰郷したのか、
その当時大切に思っていたことは、何だったのか。
そんなことを考えていたときに、古い友人と電話で話し、
しばらく忘れていたことを、思い出させてくれました。

十数年前に、最初に市民活動を始めた頃のこと。
東京、沖縄。北陸で、連続して平和映画祭をやり、
JJプロジェクトに参加し、狸穴活動を始めた自分が、
一番大切にしたのは、「水と空気と土と女」だったのです。
それゆえに自然農の考えに賛同し、自分でも始めた。

人間文化の中心に女性を考え、人間が生きる環境として、
水や空気や土を大切にする、これが生活の基本です。
食べ物を食べて生きる人間には、水と空気と土が必要で、
環境を守るとは、そうした基本を守ることなのです。
問題を起こさない生き方としての、自然農は、
これを守りながら、命を繋ぐ知恵の手法なのです。

こうした基本を守る、生き方をしているなら、
あとは自由で良いのですが、人間は社会生活をします。
この社会生活が基本を壊しては、元も子もない。
そこで人間社会活動が、水と空気と土を壊さないよう、
市民活動をして、牽制する必要があったのです。

社会への女性参画とは、女性が一緒になって男性化?
するのではなく、社会を男性化から救い出して欲しい。
統制的で破壊的な男性社会から、方向転換をして、
環境を大切に愛でて自然と調和する、女性社会への転換。
少なくとも、そうした方向性を社会として確認して、
破壊的競争ではない、助け合う社会になって欲しいのです。